桃園会 第36回公演
http://www.toenkai.com/index.htm
- 作・演出:深津篤史 (ふかつしげふみ)
- 美術:池田ともゆき
- 照明:西岡奈美
- 音響:大西博樹
- 出演:亀岡寿行 はたもとようこ 紀伊川淳 森川万里 橋本健司 長谷川一馬 川井直美 寺本多得子 岡本大輝(劇団さざんか) 阪田愛子(劇想空飛ぶ猫) 林いくみ よこえとも子(てんこもり堂) 渡辺香奈子
- 劇場:下北沢 ザ・スズナリ
- 評価:☆☆☆☆
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
難解で、内容を受け止め、整理しようとするものの混乱したままで終わった観劇だった。状況も対話の内容も人物も曖昧な空白のやたらと多い短い場面が次々と展開していく。散りばめられた暗喩、象徴的表現を拾い集め、頭のなかで組み立て直していくうちに、ちょっとずつ明らかになってくるのではあるけれど、今回の作品は観客に託された空白がとても多い。
主人公「私」はずっと舞台にでずっぱりで、飛行機のベルト着用などの際に聞こえる「ポン」というアラーム音がなるたびに、二段ベッドが中央におかれ、三方を壁に囲まれた空間は、いくつかの時空を移動する。僕はもうろうとしてどれがどこなのかはっきり捉えることができなかったのだが、同じ芝居を別の日にみた友人の指摘によると、地理的には日本(関西、鳥取、テレビのなかの東京)とバリ島(デンパサールとジャングル)のなかを移動していたとのこと。どの場面にもなぜか「モミジ」と呼ばれるヤモリ(小さいモミジがとてもかわいい)がはいまわっている。このヤモリはときおり口も訊く。状況を知るための情報は断片的で、きわめて不完全なかたちでしか入ってこない。
電波猿=デンパサールはインドネシアのバリ島観光の玄関口だそうだが、はずかしながら僕はこの地名をしらなかった。ブプタン広場での1906の大量自決も何のことやらという感じだったのだけど、これも知人から指摘され、ネットで検索して概要を知ったところ。
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page002.html
主人公とともにとらえどころのない時空を彷徨する感覚を味わうのも悪くはないと思うのだけれど、作中で言及されている複数の場所と事件について最低限の知識をもち、それを連想ゲームのようにリンクさせることができればもっとすっきりと理解できる作品なのだろうと思う。
できればもう一度くらい観てみたいのだけれども。
不定で曖昧な空間と人物のなかで「私」は最初から最後まで戸惑ったまま。昔読んだロブ=グリエの小説に、こんなぐあいに主人公の人物名や場所が徐々に変化し続けるものがあったように思う。この作品では、その変化は円環的ではあるが。
このわけのわからなさはあまりに不親切であるように感じられ、前半は大きなフラストレーションを感じたのだけれど、後半はそのわけのわからない世界に、「私」とともに入り込んでしまったような感覚があった。難解だけど柔らかい、拒絶された感じがしないのは、関西弁の響きのおかげもあるのかな。別に心地よいわけではない。もぞもぞとした不安感や不気味さはずっと感じ、むしろ増大していくのだけれど、なぜかそれが不快ではない。
うーん、でももうちょっとわかりやすいほうがありがたい。
Corichiの評で「燐光群を野田秀樹っぽく演出した感じ?」とあったが言い得て妙だと思った。
http://stage.corich.jp/stage_done_detail.php?stage_id=10258
燐光群なら、パンフのなかで言及されている事柄についての詳しい解説があっただろうけれど。