マラルメ・プロジェクトII
- 企画:浅田彰、渡邊守章
- 翻訳・構成・演出:渡邊守章
- 朗読:渡邊守章、浅田彰
- 音楽・音響:坂本龍一
- 映像・美術:高谷史郎
- ダンス:白井剛、寺田みさこ
- 上演時間:80分
- 劇場:京都芸術劇場 春秋座(京都造形芸術大学内)
- 評価:☆☆☆☆
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浅田彰、渡邊守章企画によるマラルメの詩の朗読に音楽、映像、ダンスを組み合わせた複合スペクタクルの上演。難しそうで私は多分だめだろうな、と思いながら観に行ったのだけれど、案外楽しむことができた。
マラルメは19世紀後半のフランスの詩人で、この時代の象徴主義の文芸活動のリーダーとなった人物で、一般的な知名度はあまり高くないかもしれないが、フランス文学研究の対象としては非常に人気のある作家である。
京都造形芸術大学内にある京都芸術劇場春秋座に行ったのは今回が初めてだった。大学の建物が新しくて豪奢なものであることにちょっと驚いた。劇場も700人ぐらいは入りそうな大きな劇場だった。観客は大学の学生っぽい人が多かったが、ほぼ満席だった。今回の公演は浅田彰と渡邊守章先生がマラルメのテクストを朗読し、それに併せて映像と男女ペアによるダンス、そして坂本龍一によるピアノ即興演奏が入るという豪華な試みだった。上演は今日16時からの一回だけである。上演時間は八〇分ほどだった。
『イジチュール』とはマラルメの未完の哲学的小話だそうだ。私は読んだことはない。この散文のテクストの朗読は浅田彰が担当した。このテクストを核に、その内容と関係があるいくつかのマラルメの詩編のフランス語とその日本語訳が併せて朗読された。
今回の上演のスタイルから連想したのは17世紀のフランス王宮廷で催されていた宮廷バレの形態である。宮廷バレでは詩の朗読も行われ、それに舞踊と音楽、歌が組み合わさった総合芸術だった。今回の公演は形式的には21世紀における宮廷バレ様式の復活といってもよいものだと思う。
日仏語によるテクストの朗読にあわせて、舞台に設置された可動式の衝立にはモノクロの映像が映し出される。この映像は抽象的な模様であったり、舞台上の人物やオブジェを映し出したりと常に変化している。さらに男女のダンサーによる舞踊と坂本龍一によるピアノの即興演奏がある。舞台上では燭台にロウソクが燃えている。全体に黒い舞台でロウソクの光によってぼんやりと暗闇に浮かび上がる幻影のようなパフォーマンスだった。
荘厳で仰々しい宗教儀礼に立ち会っているかのようであった。マラルメの、またこの手のもったいぶったパフォーマンスの「信者」ではない私をも引きずりこむ力があった。呪文やお経の如く唱えられ、難解で訳のわからないマラルメのテクストに幻惑される。そして飛び込んでくる言葉の断片に喚起されるイメージに陶酔を覚えた。マラルメのテクストは訳がわからないけれど、やたらとかっこいいのだ。フランス語のオリジナルテクストの朗読もテクストの持つ神秘性をさらに引き出す効果をもち、表現にさらに深遠な雰囲気を作り出していた。
上演形式の仰々しさと詩の朗読も組み込んだ表現の複合性には、上述のとおり、17世紀の宮廷バレを私は連想した。しかしこの舞台で表現をリードするのは勿論マラルメのテクストである。映像、身体、音楽は、テクストの語句に反応するかのように滑らかに変化していく。その連鎖反応のさまが見事だった。