閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2021/04/29 平原演劇祭2021第4部 演劇前夜「黄山瀬c/w夜ふけと梅の花」

note.com

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 平原演劇祭2021第4部は朗読の企画だった。緊急事態宣言によって出たことで当初予定されていた会場の目黒区駒場住区センター和室が利用できなくなってしまった。目黒区駒場住区センターが利用不可になる前も、何回か日時や場所の予定が変更されていて、直前までどこでいつやるか確定しない。平原演劇祭の予定を確認するには、twitterで平原演劇祭公式アカウント(@heigenfes)か主宰の高野竜氏のアカウント(@yappata2)、あとは上記リンクにあるnote(https://note.com/heigenfes)の情報を頼りにするしかない。

 東大駒場キャンパス内でやるという話も出ていたが、当日13時に待ち合わせ場所の駒場東大前駅改札で出演者の青木祥子から東大駒場キャンパス内に部外者が入れなくなっていることを聞いた。普段はキャンパス内に自由に出入りできるのだが、新型コロナウイルス感染拡大の防止措置として入場者チェックが行われているとのことだ。大学正門に近い渋谷側の改札で待ち合わせだったのだが、高野竜が待機している反対側の改札まで移動した。ちなみに今回の朗読会(平原演劇祭では《演劇前夜》と呼んでいる)の出演は高野竜と青木祥子の二人、観客は平原演劇祭の写真記録担当MM氏と私、そして平原演劇祭にミュージシャンとして出演したことのある暗渠ファンのMEW氏の3名だけだった。雨のなかの野外公演、駒場という平原演劇祭的にはありふれた場所、そして朗読という地味な企画ということで、あまりアピールしなかったようだ。

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 まず駅の改札前にあった地図看板を使って、高野氏が今日のルートの大雑把な説明をした。ここで今回の公演が暗渠をたどっていく暗渠探索散歩演劇になったことを私は知る。おそらく東大駒場キャンパスが使えないということで、急遽思いついたのだと思う。集合は13時だったが、終了予定時間は16時過ぎと伝えられた。当初予定されていた目黒区駒場住区センターでの公演は14時開演で2時間ほどで終了と予告されていたはずなので、大分延長されたことになる。

 目黒区が設置した地図の横に業者による付近の住宅地図があった。この住宅街路地図を指さして、高野さんは「ああ、この地図も今日は関係あるんですよ。こんなきれいで立派なものではないんですけどね」と言った。何のことかわからないが、とにかく高野さんについて歩く。

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 おそらく区が設置した「目黒区みどりの散歩道●駒場コース」にも記されているが、駒場にはかつて京王井の頭線の南側、こまばアゴラ劇場のあるあたりに空川という小川が流れていた。駒場の空川はごく一部だけが地表にさらされているが、そのほとんどは現在では暗渠になっていて地上からは見えない。まず向かったのはこまばアゴラ劇場とは反対方向にある駒場野公園だ。竜さん曰く、おそらくこの公園にある池が空川の水源だと言う。アゴラ劇場には何十回も通っているが、この駒場野公園には行ったことがなかった。かなり広大な公園で、公園内にはケルネル田圃という田圃もあった。

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 水源と目される池の水はよどんでいてあまりきれいではなかった。ここから駒場地区の暗渠をたどっていく。駒場東大駅から駒場アゴラ劇場へ向かう道は不自然でゆるやかな湾曲があり、劇場の裏手は高台になっているが、かつては劇場のある道筋には川が流れていて、裏手の高台は川の土手だったようだ。このあたりは暗渠マニアにはよくしられた一帯のようだが、竜さんの解説付きで歩き回ってみると、なるほど住宅のあいだに奇妙な路地や細長い空き地があり、その下に今も空川が流れていることがわかる。

 

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 この暗渠をたどる散歩はなかなか楽しいものだった。住んでいる人たちに「ここは昔、川がながれていたんですよ? ごぞんじでしたか?」と聞いて回りたい気分になる。途中、シュークリーム屋で買い食いする。シュークリームを最初買おうとしたのだが、食べ歩きが難しいということだったので、食べ歩きしやすいシューアイスをかった。値段が450円とけっこう高い。

 

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撮影ぼのぼのさん

 暗渠をたどる散歩は楽しかったのだが、山手通りにぶつかったところでその先から暗渠をたどるのが難しくなった。雨も強くなってきたし、今日は暗渠巡りだけで終わるのかなと思ったのだが、やはり朗読は予定通りやるという。しかし野外会場としてもくろんでいた東大駒場キャンパスが使えなくなって、その次の候補地というのは決めていなかったようだ。一時間半ほど小雨のなかを歩き、いい加減歩き疲れたところで目黒区立菅刈公園に着く。公園内の利用スペースは新型コロナのためか制限されていた。雨模様ということで公園内に人はほとんどいない。この公園はかつての大名庭園で、明治期には西郷従道(じゅうどう)の邸宅があったとのこと。二組の男性若者ペアがいて漫才かコントのネタ合わせっぽいことをやっていた。しばらく公園内をあてもなくぶらぶらしていたが、結局ここで朗読公園を行うことになった。

 最初は青木祥子による井伏鱒二「夜ふけと梅の花」の朗読だった。朗読時間は40分ほどだっただろうか。登場人物は語り手の「私」と村山十吉である。

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 ディテイルのある悪夢のような奇妙な味わいの話だった。ある日の夜、私は血だらけの男に呼び止められる。その男が村山十吉だ。村山は消防団の人間数名に殴られたと言う。そして裁判を行うのでその証人になってくれと私に頼み、5円札を無理矢理握らせた。その日は村山と別れ、その5円札を村山に返却しようと彼が働いている質屋に行くのだが、村山には会えない。しかしその返せない5円札の強迫観念によって私はそれから常に村山に追いかけられているような気分にになり悲鳴を上げる。

 青木は公園内の大木を中心に動き回り、役柄を演じながらダイナミックにテクストを演じた。時折、かなり大きな声を上げたりもする。井伏鱒二らしいひょうひょうとしたユーモアも感じられる怪奇心理小説の掌編。小説の舞台は早稲田鶴巻町や弁天町で、早稲田大学周辺の私のホームグラウンドのようなところだ。弁天町には住んでいたこともある。また機会があれば小説の舞台となった場所でこの朗読劇を楽しみたいように思った。

 青木は平原演劇祭の常連のひとりだが、もがきながらいろいろ工夫をしてずっとやってきて、その不器用さゆえに表現に味わいのあるうまい俳優になったという感じがした。今日は赤い線の入った帽子がよく似合っていた。

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 後半は高野竜による田宮虎彦「黄山瀬」の朗読だった。「きやまぜというタイトルですが、黄色い山、そして川の瀬と書きます」というタイトルの説明から始まった。高野竜も公園を大きく移動しながら読み上げた。暗記は苦手そうな高野さんが、この小説の冒頭部は暗唱していたので「おっ」と思う。田宮虎彦(1911-1988)は死後、急速に忘れられた作家になり、その著作の大半は絶版になっている。「黄山瀬」の主人公道一郎は、かつてはエリートサラリーマンだったが、二度の結婚の失敗と過酷で悲惨な従軍体験、そしてあやしげな投資によって零落してしまっている。失意と自暴自棄のなか、道路標識社の集金係をやっていたときに、飲み屋で出会った素性のわからない幸薄そうな女性、きいのと出会い、彼女との共同生活のなかで道一郎は生の充実を少しずつとりもどしていく。しかし彼が幸福と安定に到達しようとしたそのときにきいのは交通事故で死んでしまう。彼はきいのの死後、彼女と行くはずだった東北の山奥の温泉地にひとりで出かける。そこで彼が目にしたのは山肌の一面が黄色の花でおおわれた黄山瀬の壮麗な景観だった。そこはおそらくきいのが生まれ育った場所だった。

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 これは非常に面白い小説だった。二度結婚したものの、その両方の妻とまともに心の交流ができない道一郎の哀れさ、彼が味わう殺伐とした思いのリアリティは身につまされたし、傷つき、茫然と生きていた彼がきいのとの出会いによってその生を回復していく過程の描写にも引き込まれる。そして最後の場面の圧倒的な情景描写。

 高野さんの朗読は訥々としたものだ。今回は途中もうろうとしているような感じもあってひやひやしたが(高野さんは公演当日はいちもギリギリの状態なので)、しかし高野さんの誠実で丁寧な朗読には引き込まれずにはいられない。途中かなり雨が強くなったのだが、高野さんは雨にぬれながらおそらく一時間弱にわたって朗読を行った。

 「黄山瀬」の朗読が終わった後、竜さんに「黄山瀬って東北に本当にあるんですよね?」と聞くと、「いや、多分実在はしないと思います。田宮虎彦というのは肝心のところで「嘘」をつく作家なんで」と竜さんは笑って答えた。

 今回は、もともとやるはずだった目黒区駒場住区センターが利用できなくなったのでやむを得ず野外公演となり、その会場も行き当たりばったりだったのだが、たった観客三人でこんな贅沢な時間を持つことができたのはとても幸運だったと思っている。野外の朗読公演というのも悪くないなと思った。

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 田宮虎彦の作品の余韻は深かったが、この朗読会、演劇前夜の締めくくりは高野氏による短編、現実十夜第二話「出現!自販機あしながおじさん」だった。これは10分ほどのコントのような話だ。《夢十夜》に対する《現実十夜》であり、これは高野氏がごく最近に経験した実際の出来事の話である。内容はさしさわりがあるので詳述できないが、タイトルのとおり「自販機あしながおじさん」の話だ。しかしこのタイトルからは想像もできないほど奇妙な事件の報告だった。高野氏が不労所得云々とツィッターでつぶやいていたのだが、その不労所得にも関わる話だった。この話には爆笑した。現実だけれど、現実離れした話。高野氏が話すとあらゆる現実が詩になってしまう。

 終了は午後四時半だった。予告より30分ほど長くなった。午後1時開始なので三時間半、時折雨が降る中、三時間半野外で歩き通し(いや途中青木の朗読中は地べたにすわったこともあったが)の肉体的にはちょっときつい公演だったが、たった三人でこの演劇の時間を味わえたことの贅沢さにおおいに満足する。