閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2019/12/26 平原演劇祭 歳末ロシア・ナイト

目黒区烏森住区センター地下2階調理室
2019/12/26(木)19:00-21:30
出演:高野竜、青木祥子、ひなた

平原演劇祭亡命ロシアナイトが行われたのは2年前の2017/11/7、目黒区内の住民センターの調理室だった。
おっさん演劇人4人を案内人とし、ソ連ロシア革命に関わる朗読、料理、20世紀ソ連音楽解説というプログラムで構成された名企画だったのだが、告知が不十分で純粋観客は私を含め4名しかいなかった。
今回、目黒区内の別の住民センター調理室で行われた歳末ロシア・ナイトは、その亡命ロシア・ナイトのリベンジ企画とのこと。今回は20名弱の観客(というより物好きな参加者というべきか)が集まった。

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まず最初は生きた鯉の解体ショーからはじまった。ウハーというロシア料理のスープの食材だ。このウハーは、アメリカに亡命したロシア人ジャーナリストが書いた『亡命ロシア料理』という著作に掲載されたレシピに基づき作られたが、この本では魚はチョウザメが指定されている。チョウザメは日本では手に入れるのが難しい。2年前にはチョウザメの代わりに鮭を使った。これはすこぶる美味だった。今回は鯉だ。鯉はロシアで広く食されているとのこと。埼玉県岩槻市にある川魚専門の魚屋で購入したとのことだが、鯉は活きた状態で販売されることになっているらしい。会場にはビニール袋に入れられた活きた鯉がいた。
 
これを調理室のシンクに放つ。当然ピシャピシャと跳ね回る。この跳ね回る鯉を押さえつけて、切り刻むのは相当大変な作業で、魚屋で働いていた高野竜さんもかなり苦戦していた。魚に痛覚はないという話を聞いたこともあるが、やはり痛いみたいだ。頭を切り落とされても、身体はまだ活きていて、うろこをごしごしやると尾をピンピン動かす。鯉は二枚に下ろして、ぶつ切りにして、それを冬瓜、タマネギなどが入った鍋に入れて煮込む。だしは鯉の他、キュウリウオの干物を使っている。
 
鯉の解体ショーは衝撃的だったが、これは歳末ロシア・ナイトの前座のようなものだ。解体ショーのあと、本プログラムが始まる。まず最初は竜さんによるシャラーモフ『極北 コルィマ物語』の朗読だった。極東の極寒の地の収容所の様子を描く連作短編小説だ。朗読に入る前に、竜さんからロシア・ソ連における収容所文学の伝統について短い解説があった。シャラーモフ『極北 コルィマ物語』で日本語訳されているのは150編以上からなる全体のうち、29編。そこから3編が朗読された。これが30分ほど。連作集の冒頭にある厳しい冬の風景を描く短いプロローグ、そのあとは「いい話がいいか? それとも陰惨な話がいいか?」と竜さんが観客に問うて、陰惨な話が選ばれ、読み上げられた。荒野に埋められた死体から衣類を剥ぎ取って売りさばく話だった。最後はツンドラの常緑樹ハイマツについての短い描写。

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『コルィマ物語』の朗読のあとは食事タイムとなった。料理は二種類用意された。そのうちのひとつが先ほど解体された鯉を使ったスープ料理、ウハー。もう一品は山羊肉(羊肉かもしれない)と砂肝の焼き肉、シャシリク。ウハーはそばの実をゆでたものと一緒に供された。キュウリウオの干物に塩分が含まれているということで、ウハーには特に味付けはされなかった。ディルといる香草を振りかけただけ。鯉は臭いという先入観があったが、匂いは案外気にならない。味付けは薄いと思ったので、塩、こしょう、七味を振りかけて調整する。だし汁を吸った冬瓜がおいしい。鯉は小骨が多くて、食べるのがちょっとやっかいだった。魚肉の味はあまりしない。出汁を取るのに使ったキュウリウオの塩加減がよかった。シャシリクは、私は山羊肉だと思って食べたのだが、それは勘違いで羊肉だったかもしれない。この山羊肉は堅くて噛み応えがあったが、味は濃厚でおいしかった。臭みはまったく気にならない。

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食事時間のあとは、今夕の歳末ロシア・ナイトのメイン・プログラム、マルシャークの『ねこのいえ』の朗読劇がはじまった。マルシャークは『森は生きている』の作者として日本ではよく知られている。『ねこのいえ』は絵本の形態で出版されているが、戯曲の形式で書かれている作品だ。演者は高野竜、青木祥子、ひなたの三人。ねこをはじめ、たくさんの動物たちが登場人物の動物寓話劇だ。お金持ちで高慢な猫の屋敷が火事で焼けてしまい、その持ち主だった猫の女主人と執事は焼け出されてしまう。助けを方々に求めたものの、焼け出された二匹の猫に他の動物たちはつれない。二匹を迎え入れたのは、この二人が追い返した貧しい二匹の子猫だった。四匹は家族となり、力を合わせて新しい家と家族を作り始める。。高野竜が語り的な部分を引き受け、青木とひなたが動物たちを演じ分ける。ひなたは巧みに声色を変えて、動物たちを演じ分けている。演じ分けにわざとらしさを感じない。ちょうどいい具合に声に表情をつけていた。三人の声のバランスがよく、音楽的に呼応していた。高野は左手に座ったままだったが、青木とひなたは正面と右手の場所を移動して入れ替わった。右手に移動したときには調理室のテーブルに寝っ転がって朗読する。ちょっとした照明の操作と小道具の使用といった素朴な演出が、物語の情景を効果的に浮かび上がらせる。上演時間は45分ほどだった。

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とてもよい公演だった。一年の観劇生活をこの公演で締めくくることができて私は気持ちがいい。数年前から、日常性のなかで提示されることで、その日常を揺さぶり、そこに居合わせたものを異世界へと誘ってくれるようなささやかな試みの方に、私はより大きな演劇の充実を感じるようになっている。劇場という特殊な空間で上演されるいわゆる「普通の」演劇作品がつまらないというわけではない。大がかりで贅沢な装置、訓練された俳優の演技、斬新で前衛的な演劇的手法に魅了され、感嘆することは多い。しかし日常性とつながりを持ちつつ、日常性から抜け出させてくれるようなささやかなパフォーマンスこそが自分にとっては切実で重要な時間であり、自分にとっての演劇だという感覚はだんだん強くなっている。平原演劇祭の歳末ロシア・ナイトはまさにそうした充実した演劇の時間だった。