閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

豊岡演劇祭2020 9/12(土)

この日予約していた公演は、12時開演のcigars、16時開演の東京デスロック、そして19時半開演の『ヤルタ会談』。cigarsと東京デスロックは豊岡駅が最寄りだが、『ヤルタ会談』は豊岡から二駅離れた江原に移動しなくてはならない。
午前中のスケジュールが空だ。豊岡駅周辺で美術館など時間をつぶせそうな観光ポイントはないかなと思ってググってみたけれどなさそうだ。曇り空で気温はそんなに高くないので、ぶらぶらと円山川あたりを散歩してみようかと思って、9時半ごろホテルを出る。

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昨夜、大道芸を見た豊岡稽古堂のまえで紙芝居の公演がはじまろうとしていた。演劇祭のフリンジ公演で日坂春奈の『かみしばいや』だ。野外無料公演なのだが、新型コロナ対策でこの公演も予約制になっていて、私は予約しそこねていた公演だ。一回10名程度しか予約出来ないようだ。人がひしめき合っているという感じではまったくなかったので、「予約なしだけど見ること出来ますか?」と聞くと、立ち見だったらOKとのこと。
紙芝居はこの演劇祭のために作った新作2本とのこと。一本目は演者・作者がそうめん好きだということで「そうめんのゆめ」というお話。おまけで紹介されていたおいなりの薄揚げにそうめんを入れる料理、おいしそうだ。2本目はピンクのカエルが月の背にのって豊岡のいろいろな場所を巡る話。2作品とも他愛のない可愛らしい話だった。紙芝居は15分ほどで終わってしまう。
 
豊岡駅前から東にまっすぐ延びる目抜き通りの商店街は土曜だというのに賑わいがない。シャッターのしまったままの店が多かった。町の規模は3月に行ったアイルランドのスライゴーに似た感じだが、スライゴーよりもさびれた雰囲気だ。目抜き通りの道をずっと進んでいくと円山川にさしかかる。川幅は20メートルくらいか。河原は雑草が生い茂っていた。cigarsの公演がある12時までとにかく時間を潰さなくてはならない。

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Googleマップを見ると2キロほど離れたところに京都丹後鉄道のコウノトリの郷駅がある。そこまで歩いて、そこから京都丹後鉄道に一駅乗れば11時半過ぎに豊岡駅に戻って来ることができることがわかる。cigarsの公演会場の豊岡市民プラザは駅に直結しているので都合がいい。ちょうどいい運動かなと思い、田舎道を歩いてコウノトリの郷駅に向かった。コウノトリの郷駅の駅舎は木造の無人駅だった。竹林の里山のそばにある。鉄道は単線で、車両は一両だった。ただ車両は新しくてきれいだった。

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cigarsの『庭にはニワトリ二羽にワニ』『キニサクハナノナ』の二本立ては、ささやかだけれどとてもいい公演だった。演出はこの4月に急逝した青年団志賀廣太郎、戯曲は小川未玲。『庭にはニワトリ二羽にワニ』はピアノ伴奏による4人の演者によるミュージカルだ。ミュージカルといっても物語の流れは背景に映し出される可愛らしいイラストで示される。4人の演者は絵本のような背景映像に合わせて語り、演じていく。単に自分の役柄の台詞を読むのではなくて、ささやかだがちゃんと俳優として演じている。大阪の西成で素人のおっちゃんたちがやっている紙芝居演劇、むすびが同じようなことをやっているのに先ほど気づいた。cigarsはむすびの紙芝居演劇を、プロの俳優によって洗練されたかたちでやっているのだ。絵本の読み聞かせの発展系のような芝居だったが、俳優たちはピアノの伴奏に合わせて読んだら歌ったりしているだけではない。スライドの絵に合わせて、役柄を演じる。絵で提示される情報を、俳優の身体がうまく保管し、物語のイメージを膨らませていた。主張しすぎない俳優の演技の入れ方が絶妙だった。そして言葉遊びや定型的物語要素のパロディをちりばめた脚本が面白い。大人も楽しめるシニカルな批評性がサラリと入っている。何度か声を出して笑ってしまった。子供と一緒に見て楽しみたい作品だと思った。

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同じ作者による『キニサクハナノナ』は、絵本風の一本目と雰囲気が違う作品だった。ピアノ伴奏の音楽はつくが、こちらはミュージカル仕立てではなく演者は歌わないし、踊らない。死者が死の国へ旅立つ前に、思い残したことを伝えるという趣向の物語だ。見合いをしたものの、その直後に召集令状が届いたため、縁談を断った男が、その見合い相手の女性に間違った花の名前を教えてしまった。男は死の国への待合室にその女性を呼び出し、間違った木の花の名前を教えたことを詫び、心置きなく死の国へ向かう。
どこかで似たような設定の話を聞いたことがあるように思う。最初の話が子供も楽しめる内容だったので、それと組み合わせる二本目も子供が楽しめる作品の方がいいのではないかと思ったのだが、作品演出はあまり気取り過ぎない洗練があって心地よい後味の舞台だった。
演劇祭ではとんがったマニア向けの作品だけでなく、こうした間口の広い秀作の上演があることは重要だ。
 
昼飯は駅から歩いて20分ほどのところにあるバイパス沿いのマクドナルドで食べた。駅前から伸びるかつての目抜き通りはシャッター商店街となっていて人通りも少ない。しかしバイパス沿いには大型ショッピングセンターやファミレスが並んでいた。車社会ではこうした感じになるのは避けられないのだろう。かつての駅前の中心部の商店街は駐車スペースが乏しいため寂れてしまう。
 
午後4時から豊岡市役所に隣接する豊岡稽古堂で、東京デスロック『anti human education III 〜PENDEMIC Edit.』を見る。多田淳之介らしいユニークな切り口の作品だった。学校の授業のスタイルで、各教科ごとに新型コロナ禍について先生役の俳優が観客に向かって授業する。ドリフなどのお笑い番組の学校コントを連想する。
全部で6時限あって、数学、世界史、保健体育、生物、国語、音楽で、各教科は15分ほどの長さ。観客にはホワイトボードが配布されて、教師役の設問にボードで答えたり、となりの観客とペアワーク的なことをしたりする。実際の教科書や授業実践をよく調査している感じがした。

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数学の内容は新型コロナとの関わりは分からなかったが、ペアないしグループでやるしりとり掛け算はフランス語の数字の学習にも応用可能だと思いメモした。世界史は過去の感染症にまつわる事件について、高いテンションで教える。保健体育は適応規制についての説明と新型コロナ禍での適応規制の実例をアンケートとともにうまく説明していた。生物は細菌とウィルスの違い、ワクチンの役割。伝え方には適切な演劇的誇張によるメリハリの工夫があって分かりやすかった。内容も真っ当で教科書の記述をよく研究している。
しかしたかが15分ほどの模擬授業(それも伝え方にか工夫があって、極めてよくできた)にもかかわらず、退屈で眠気を感じてしまうのはどういうわけか。またこうした優れた工夫の授業もこの密度で90分で15回やるのはかなり大変だろう。生徒もあまり凝縮された内容だとオーバーフローを起こしてしまうのではないだろうか。教育による緩やかさ、「遊び」はやはり重要であると思った。
よくできた模擬授業だったが、それだけじゃあ演劇的に物足りないなあと思っていたら、昼休みの防護服を着た先生たちによる教室消毒作業の後、5限目の国語が新型コロナ禍で占星術オカルトにハマってしまった先生によるものだった。スピリチュアルなメッセージを吐き続ける。こうしたちょっとおかしくなってしまった先生は実際にいそうな気がする。惑星のパワーがどうのこうのと話していたが、本来は『銀河鉄道の夜』をやるはずだったというオチがついた。
 
6限目の音楽はビデオ映像による授業。音風景をホワイトボードに書かせて、生徒同士で見せ合うというもの。この授業実践も実際にやられているものだそうだ。午後の授業はもっと風刺的で黒く歪んだ内容にエスカレートしていく方が良かったと思う。実際の授業実践の一部を演劇的にデフォルメして手際よく提示し、生徒役の観客に体験してもらうだけではつまらない。
今回は新型コロナにまつわるテーマだったが、内容や提示の仕方がいちいち啓蒙的なのがちょっと鼻についた。
 
東京デスロックの後はバスで江原まで移動して、青年団の新たな本拠地、江原湖畔劇場で『ヤルタ会談』を見た。この演目はこれまで何度か見ている。同じく肥満俳優キャストによる同じ演出。と言っても忘れていたやりとりは多かったが。安定したクオリティ。昼間に歩いたせいか、見ていて眠くなってしまった。
周りが暗くて江原湖畔劇場の様子はよくわからなかった。駅からは歩いて3分ほどの場所だが、本当に何もない田舎町のようだ。