閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2021/03/27 第47回赤門塾演劇祭

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 毎年三月最終週の週末に行われる赤門塾演劇祭だが、昨年は新型コロナのため、子供の部のみ、観客なしで行われた。私は昨年はフランスが最初の全国的ロックダウンを行う直前の3月15日にフランスから日本に帰国したばかりで、昨年の赤門塾演劇祭に立ち会うことはできなかった。昨年の大人の部では『どん底』の上演が行われる予定で稽古が進められていたが、これは公演中止となった。『どん底』は昨年末に部分的に仲間内で上演は行ったらしい。

毎月一回、赤門塾創始者の長谷川宏さんが行っている読書会に私は2018年5月から参加していて、これは私の日常のなかではきわめて優先度の高い楽しいイベントだったのだけれど、これも新型コロナのため、昨年1月以降、私は参加していない。聞けば読書会自体は新型コロナ禍のなかも継続的に行われていたとのこと。私は昨年四月に長谷川さんと電話で話したのだが、長谷川さん自身は後期高齢者であるにも関わらず、新型コロナ感染についてはさして不安を持っていないような感じだった。

しかし私は三月にフランスから帰国したばかりであったし、四月以降は大学の授業がすべてオンライン化され、新型コロナについてかなり緊迫した雰囲気があったため、長谷川読書会への参加は見合わせていた。

昨年11月に赤門塾開設50周年の祝賀会が所沢であり、私はその会場で久しぶりに長谷川宏さんと会って、赤門塾の近況などについて話を聞いた。恒例の夏合宿も行われ、長谷川さんも参加したとのことだった。

3月に入って長谷川さんに電話をして、赤門塾演劇祭が今年行われるかどうか尋ねた。すると今年は子供の部も大人の部も行うと言う。ただし感染対策のため、人数限定、事前予約制とのこと。残念ながら子供の部はすでに満員で見ることができなかった。28日土曜17時からの大人の部ならまだ大丈夫とのことで予約した。

 

赤門塾の最寄り駅である武蔵野線新秋津駅に降りたのは昨年の一月以来である。読書会で月一回、赤門塾に通ったのは私は二年間ほどだが、それでも懐かしい母校に戻ってきたような気分になった。昨年11月にあった50周年祝賀会では、歴代の赤門塾OB・OGが集結した同窓会的雰囲気だったが、彼らにとってこの小さな学習塾が他のどんな場所よりかけがえのない居場所、ふるさとのようなところであることがなんとなくわかるようになった気がする。赤門塾は学校でも家庭でも職場でもない、自由な場所、解放区、アジールなのだ。

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演劇祭のときは塾の教室入り口が、仮設の入退場口でおおわれるのだけれど、今回は空気の流れを考慮してだろう、教室出入り口はむき出しになっていた。例年なら、客席に櫓を組んで二階建てとし、観客は70名ほどがぎゅうぎゅうに詰め込まれるのだけれど、今年はすべて椅子席で、間隔を空けているので15名ほどしか入れない。早めに電話して予約しておいてよかった。ぎゅうぎゅう詰め客席の熱気のなかで見るのが演劇祭っぽいのだが、デブ中年の私には観劇環境としてはかなりつらいものがあったので、すき間の多い空間の寂しさはあったものの快適な椅子席観劇は、正直ちょっとありがたかった。

例年、赤門塾演劇祭の大人の部は十数名の出演者による群像劇が多かったのだが、今年は新型コロナ対策で密集を避けなくてはならないということで、多人数芝居はできない。今年の演目は赤門塾演劇祭としては異色の二人芝居、井上ひさし『父と暮らせば』だった。この選択は意外だった。井上ひさしの芝居の上演も赤門塾でははじめてだろう。

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『父と暮らせば』は、辻萬長と栗田桃子によるこまつ座の舞台や黒木和雄監督による宮沢りえと原田芳雄出演の映画を私は見ている。他のキャストの舞台も見たことがあるような気がする。古典戯曲を読む会@東京でも取り上げたことがある。

新型コロナ禍のものとでの演劇祭ということで、例年より小規模の公演だったが舞台セットはしっかり作り上げていた。こういうこだわりが赤門塾演劇祭っぽく思える。素人の俳優と制作、演出による手作りの演劇祭で、見に来る観客も出演者の「身内」に近いひとばかりなのだけれど、その取り組みぶりは実に真剣で、仲間内のなあなあのいい加減さがないのだ。

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公演会場はふだんは塾の教室だ。しかし演劇祭が近づくと教室の椅子と机は撤去され、赤門塾に隣接する長谷川家の三階にある倉庫に運ばれる。そして入れ替わりに倉庫から、教室を劇場化するためのさまざまな機材が下ろされる。塾の照明は通常は吊り下げられた蛍光灯だが、それもとりはずされ、舞台用の照明が設置される。三日間の演劇祭のための会場作りだけでも、これを自分たちの手でやるのだから、大変な手間なのだ。

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赤門塾の創設者、長谷川宏氏。現在は次男の長谷川優氏が塾の運営の責任者となっている。

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現赤門塾塾長の長谷川優氏。赤門塾演劇祭の作品選定、キャスティング、演出も彼が行う。

休憩なしで、ほぼ1時間半のフルサイズの上演だった。90分を二人の登場人物で担うのだから台詞の量は相当なものだ。舞台は広島なので台詞は広島弁になる。出演したのは赤門塾演劇祭のメンバーのなかでもとりわけ高い演技力と熱意を持つ二人に違いない。父親の竹造役は社会人が、娘の美津江役は大学生が演じた。台詞はふたりともしっかり入っていて、その口調ややりとりの間、動きの一つ一つに丁寧な演出がつけられていることが伝わってくる舞台だった。

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俳優二人とも、素人芝居らしからぬ密度の高い熱演ではあったが父親の竹造役の俳優は、社会人とはいえその若さゆえに、竹造が持つ父親としての重みが乏しい。これはどうしもようもないことなのだが。一方、娘の美津江役の俳優は年齢的にもぴったりはまっていて、そのふるまいは様になっていた。彼女はこれまでの赤門塾演劇祭でも見たことがあったのだが、これまでの出演舞台でも非常に印象的なうまい女優だった。今回は美津江という大役を堂々と引き受け、水を得た魚のようというか。持てる想像力を駆使して、見事に美津江を具現していた。映画版の宮沢りえよりもはるかに美津江らしく私には思えた。

『父と暮らせば』はこれまで高い演技力を持つ俳優と堅実な演出家による優れた舞台と映画を見ていたのだが、もたらされる感動は今回の赤門塾演劇祭の上演は私が過去に見た『父と暮らせば』に比べても遜色はない。むしろ無名の俳優によって、このような小さな空間で見るほうがより味わいが深く、胸に迫るものがある。井上ひさしの戯曲のこれみがしの技巧性を覆い隠してしまうような素朴で真摯な舞台だった。

 

長谷川優さんの演出からはいつも原作をじっくり丁寧に読み込んだことが伝わってくる。演出の重点は戯曲の良さを引き出こと、そしてその戯曲の人物を引き受けることを通して、役を演じる俳優の潜在的な魅力を引き出すことに置かれているように思える。戯曲や俳優が演出家の自己顕示のための道具になっていないところが素晴らしい。
赤門塾演劇祭における演劇上演は教育的な意図が意識されているわけではないし、作り手と観客が演劇そのものを楽しんでいることが伝わってくるものであるが、優さんの演出には、演じるという経験によって変化していく人のすがたを見守る教育者の視点があるように思う。

例年なら演劇祭のあとは、劇場となった会場を一時間ほどの短い時間で一気に片付け、テーブルが並ぶ宴会場とし、美味しい食事を楽しみながら演劇祭を振り返る歓談の時間がとなる。人がこうしたイベントで集い、食事と歓談を楽しむというのは、赤門塾の活動の根幹なのだけれど、新型コロナの流行はこの根幹となる活動を妨げてしまった。

一言だけ感想を伝えただけで、バラバラに退場していく寂しい終わり方になってしまった。