練馬区立石神井東中学演劇部を母胎に、演劇部元顧問の田代卓氏と同校演劇部OBOGによって結成された劇団サムの旗揚げ公演は2017年の夏だった。第6回公演が2020年7月に予定されていたのだが、新型コロナの流行で公演が中止になってしまった。新型コロナの不安のなか、2021年1月9日、10日に倉本聡作『ノクターン─夜想曲』と柴幸男作『あゆみ』の二本立てを第6回の公演として準備を進めていたが、1月8日に二回目の緊急事態宣言が実施され、この公演も中止を余儀なくされた。新型コロナ流行による2回の公演中止の状況について、劇団サム主宰の田代卓は今回劇団サムは結成6年目を迎え、結成時のメンバーの過半数が社会人となった。思春期後期から大学、就職という生活環境や人間関係が激変する時期を経ているにもかかわらず、中学演劇部のメンバーが中学卒業後も演劇部部活の延長として公演を続けているのは希有のことだと言えるだろう。今回の公演には幻となった第6回公演で配布されるはずだった当日パンフも配布されていた。この公演実現のために頑張ってきた若い団員たち、そして主宰の田代卓の思いがA3二つ折りのコート紙に印刷された文章から伝わってきて、切ない気持ちになる。
今回は第6回公演ではなく、特別公演と銘打たれていた。練馬区立生涯センターが劇団サムの公演会場だが、今回は新型コロナ感染予防対策で一席空けの座席配置で、やはり感染不安のためか、観客は50名ほどでいつもより少なかったように思う*1
1月の公演中止から三ヶ月の短い期間に、新型コロナ流行下の制限のなかで準備された公演だ。公演予告とチラシに記されていたのは南陽子作『覚えてないで』だが、このメイン演目の前にオムニバスのコント集、柏木陽作『椅子に座る人々の話』も上演された。
『椅子に座る人々の話』は、舞台装置としてパイプ椅子だけを使った5分ほどの長さのコントが5本続けて上演される。登場人物の数は二人から九人まで、状況や場面はコントごとに違うが、いずれのコントも新型コロナウイルス以降の状況を反映していて出演者はマスク装着で芝居を行う(最後の学校コントのみ、マウスシールドを使用していた)。たわいのないナンセンスなコント集だが、軽快なテンポとリズムで退屈することなく見ることができた。
今回の特別公演の本編となる『覚えてないで』(標準語版)は、中学演劇のために書かれた女子学生三人が登場人物の作品だ。石神井中学校演劇部の部員によってかつて上演されたことがあるそうだ*2。
「標準語版」となっているのは、オリジナルの脚本は大阪弁で書かれているからだ。作者の許諾を得たうえで、大阪弁の台詞を標準語に書き換えて上演している。タイトルの「覚えてないで」は、大阪弁のニュアンスで理解されるべきものだ。演劇部で仲良しの桜と桃は、どちらかが「覚えてる?」と問うと、「覚えてないで」と答える掛け合いを行うのが常だった。今回、桜と桃を演じた二人は、かつて石神井中学校演劇部でこの作品を上演したときにこの役柄を演じた二人だった。新型コロナ感染の不安のなかで、大人数が集まって稽古を行うことが難しい状況だったということもあり、今回はキャストが三人だけのこの作品を劇団サムの通常公演ではなく、特別公演として上演することにしたと、当日配布された公演紹介に記されていた。
この二人は中学生だったときに演じた演目を同じ役柄で、二十歳を過ぎてまた演じることになる。中学時代に彼女たち演じたときは中学生の設定だったはずだが、今回の上演では二人の年代は高校生に設定されていた。
舞台美術は下手に花壇、中央にベンチ、ベンチの後ろには街灯がある。背景はホリゾント幕だけだ。ミニマルな舞台美術だが、街灯が見事な劇的効果をもたらしていた。演劇部で同級生の桜と桃による仲良しの女の子のいかにも女子高生らしい茶番じみた日常のやりとり、そして彼女たちの後輩の華が二人に絡む。中学卒業後、さまざまな経験を経て成長しているはずの三人の役柄への理解は、中学時代にこの作品を演じたときより深くなっているはずだし、今回の公演では三人が丁寧に自分たちの役柄を引き受けて演じようとする気持ちが伝わってきた。
仲良しの女子高生の楽しい日常は、不慮の事態によって急変する。その急変を彼女たちはどう受け止めていいのかわからない。50分ほどの上演時間の演劇だが、最後の10分間は涙があふれて止まらなかった。
日常のなかのことばのやりとりには常にどこか芝居がかった嘘くささが漂うものだ。私たちは現実の世界でもいつもなにか演技をしながら、生きている。そして女子高生の言葉のやりとりの明朗さには、とりわけ茶番じみたものが感じられる。しかし私は『覚えてないで』という中学演劇のために書かれた芝居を見て、人は嘘を通してしか本当の気持ちを伝えることができないことを知った。本当の気持ちは言葉にできない。私たちはかりそめの言葉を重ねることで、本当のことを伝えようとしている。
中学演劇の俳優たちの芝居は幼くて、未熟で、稚拙ではあるけれど、それでも彼らの年代だからこそ説得力を持ちうる表現と内容がある。そしてかつて自分が中学生の頃に演じた中学演劇のために書かれた作品を、20歳を過ぎて再び演じる彼女たちだからこそ持ち得た表現と感情を今回の公演で感じ取ることができた。
劇団サムは中学演劇のエートスをひきついだまま、高校生、大学生、社会人になった人たちが上演を続ける演劇団体だ。中学演劇は彼らにとってノスタルジックなユートピアのようなものなのだろう。田代卓はそして今も「先生」の役割を引き受けている。劇団サムの公演を見て感動的なのは、出演者のすがたに(そして裏方のスタッフも)演劇によって自己表現することの切実な欲求と喜びを、舞台から感じ取ることができることだ。