閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

202/04/02 かるがも団地『なんとなく幸せだった2022』@北とぴあ カナリアホール

www.karugamodanchi.com

 

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 新型コロナウィルスの蔓延が問題になって以来、自分より若い世代によるいわゆる小劇場公演への関心が一気に薄れてしまった。この2年間、この手の芝居をまったく見なかったわけではなくて、何本かは見に行っているのである。しかし若い世代の演劇人たちの作品に感じてしまうセンシティブな「私」へのナルシシズムみたいなものに全然共感できなくなっていて、これはジェネレーション・ギャップで自分にはどうしようもないものかもしれないなと思い始めていた。

 かるがも団地『なんとなく幸せだった2022』を見に行く気になったのは、出演者のひとりがかつて私のフランス語の授業の教え子だったからだ。なんとなくどんな芝居をやっているのか気になっていて、今回はたまたま公演時間と場所の都合がよかった。

 かるがも団地の公演を見るのは今回がはじめてだった。ちらしのデザインと公演タイトルから想像したとおりの雰囲気の芝居だったが、思いのほか面白かった。上演時間は110分で、前半と後半の二部に大きく分かれる。つるんとしたきれいな顔立ちの今どきの若者たちの群像劇で、前半は2015年に卒業した登場人物たちの高校時代の追憶劇で、後半、その7年後、2022年の彼ら・彼女たち「今」の生活が描かれている。

 前半部では東京・神奈川の郊外住宅地にある公立進学校の生活スケッチが、彼らの不器用な恋愛エピソードを中心に展開していく。時系列が前後した1-2分の短いシーンをコラージュ風にテンポ良く重ねていく手際のよさや、語り、歌、ナンセンスなギャグの挿入のセンスのよさには感心したけれど、極度に洗練され、完成度の高い高校演劇を見ているみたいだなと思いながら見ていた。高校生にありがちな常に何かを演じているようにふるまってしまう不器用な自意識過剰は、うまく表現されていたが。高校時代の部だけでも完結性はあったのだが、その後日談である後編を7年後の「今」に設定しているのがいい。かつての子供だった高校生の自分たちと、未熟ではあるけれど大人として生きている現在の自分たちの姿が、7年の空白を置いたことで鮮やかに対比させられている。単にノスタルジックな青春追憶劇ではなくて、2022年の「今」を生きる彼ら・彼女たちのすがたが、短い場面を細かく丁寧にコラージュした構成とこなれたメタ的言及によって、リアルに提示されていた。自己批評的であるけれど、自虐に溺れているわけでもない。情緒に溺れないクールな表現スタイルには、他人にぐっと踏み込めない優しさや慎重な距離感の測り方、傷つき、傷つけることへの過剰な恐れといった今どきの若者たちのメンタリティが反映しているように思った。

 二〇代の彼ら・彼女が抱える孤独、寄るべなさ、不安が静かに、そして軽やかに表現されていた作品だった。