三条会のアトリエ公演
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とても面白かった。上演時間は50分くらい。昨日の『邯鄲』よりは今日の『綾の鼓』のほうが僕は好みだった。
原作のせりふはそんなにいじっていないように思った。三条会は演者の個性が強烈で、演じられる人物とそれを演じる人物のギャップのときに極端な大きさが、面白い効果を生み出す。中村岳人の日本舞踊の師匠なんて、いくらかつらをつけたところで、絶対にそうは見えない。その強烈ないかがわしさが面白い。
また三島のこの戯曲はとりわけせりふにかっこいい表現が多いと思うのだけれど、きっちり作られた三島の演劇言語は、時にあからさまに技巧的、人工的過ぎるように思えるときがある。
関美能留は強引に他者の言語を自分たちのもとにいったん引き戻し、超個性的な俳優の身体を介して、こうした言語感覚のずれが強調される。この極端な強調により作品のことばに別のコンテクストが与えられることで、喜劇的効果だけでなく、そのことばが持っていた潜在的な文学的美が浮かび上がってくることもある。
三条会芝居にわくわくするのは、見知っているなじみのテクストが、強い圧力がかかることによって予想外の様相を示すことに驚きと発見の喜びがあるからだ。そして関美能留の読みと三条会の役者の身体性を通じて徹底してテクストは圧力を加えられ、グロテスクな異形を示したのにもかかわらず、見終わったあとにはまさにそのテクストが演じられたとしか思えない、むしろテクストが持っている本質的魅力がギミックに満ちた三条会版によってより効果的に引き出されたように思えてしまうのが不思議なところだ。三条会のテクストの扱いはきわめて乱暴だけれども、雑ではないのだ。
『綾の鼓』はなんといっても老人の亡霊を演じる榊原毅が鼓を打つ場面の求心力がすごい。三条会の舞台はこうしたぐーっと意識を集中させてしまうような密度の高い場面があるのが魅力だ。
来月の『卒塔婆小町』と『葵上』も楽しみだなぁ。