閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

二重の不実

劇団銅鑼
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  • 作:ピエール・マリヴォー(「新マリヴォー戯曲集1」大修館書店刊)
  • 訳:鈴木康司
  • 構成・演出:船岩祐太(育成対象者)
  • 美術:松村あや(育成対象者)
  • 照明:根橋生江
  • 音響:坂口野花
  • 舞台監督:中杉雄一
  • 出演:酒井和哉、柴田愛奈、鈴木啓司、藤波瞬平、名塚佳織、野内貴之、福井夏紀
  • 劇場:上板橋 銅鑼アトリエ
  • 上演時間:1時間45分
  • 評価:☆☆★
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マリヴォーの台詞は「マリヴォダージュ」と呼ばれる精妙で緊張感に満ちた独特の文体で書かれている。言葉によって自分を装い、偽ることで、恋のかけひきで支配権を獲得しようとするエゴイストばかりマリヴォーの芝居には登場するが、自分の心と裏腹のことばを話し演じているうちに、その言葉によって語り手自身のアイデンティティが揺らいでしまうのだ。つまり嘘のかけひきのはずが、いつのまにか本人にも自分のことばが嘘なのか誠なのかがわからなくなり、混乱してしまう。お芝居を演じているはずがお芝居のなかに誠の心が取り込まれてしまう。
繊細で華麗な言葉のやりとりのなかで、揺れ動く心理の綾をいかに表現するかがマリヴォー劇の面白さだ。実際、優れたマリヴォー劇の上演のなかでのかけひきは非常にスリリングで危うい面白さに満ちている。マリヴォーの芝居はまさに18世紀の宮廷芸術であるロココ様式の演劇版のような雰囲気を持っている。

『二重の不実』では、大貴族である大公が町娘シルヴィアに恋をし、シルヴィアを自分の館に監禁してしまう。ところがシルヴィアにはアルルカンアルレッキーノ、マリヴォー劇はイタリア人劇団によって上演されていたのだ)という恋人がいる。大公はシルヴィアの気持ちをアルルカンから引き離すことによって、彼女の心を自分のほうに向けようと画策する。そこで大公の家臣の娘であるフラミニヤがアルルカンの誘惑を試みる。大公は自分の身分を隠し、シルヴィアに接近する。

劇団初見。新劇風の演出でやるのかと思ったらそうではなかった。抽象的な、かなり変わった舞台美術である。客席は舞台を挟むかたちで舞台の両側に設置されている。6メートル四方の四角形、幅1メートルほどの通路がまず外側に設置されている。この通路は片側が高くなっている。中央部には巨大な豆腐のような直方体が置かれ、通路は50センチほどの間をはさんでそれを囲む形になっている。中央の直方体は透明のカーテンで覆うことができる。外側の通路に沿って細い鉄パイプが巡らされ、その鉄パイプに女優が一人鎖でつながれている。彼女はこのパイプ沿いに鎖につながれたまま外側をぐるぐると歩くことはできる。これが大公に監禁されたシルヴィアである。

冒頭で口上役がこれから演じられるのは、一組の男女を使った心理の実験劇であることが説明される。訳のベースとなっているのは『新マリヴォー戯曲集』の鈴木康司訳だが、言葉自体はかなり自由に変更が加えられ、中野茂樹の誤・意訳を連想させる自然なものになっていた。マリヴォーの戯曲が持つ現代性に注目し、その核となる部分を斬新な方法で提示しようとする意志を感じる意欲的、挑戦的な演出だ。最初は「やるな〜」と思って感心しながら見ていたのだ。

ところが台詞の言い回し、展開のテンポが単調だ。役者たちはとにかく最初から最後まで大声で怒鳴っている。マリヴォー劇の台詞の繊細なニュアンスが、怒鳴り声によってべっとりとした平板なものになってしまっていた。あれだったら変な創意を交えず、劇団四季風に台詞棒読みで普通にやったほうがましだ。途中からうんざり、飽きてしまった。

ヒロイン役の女優は可愛らしい顔立ちであったが足首に蚊に刺された跡がいくつもあるのが気になった。最前列に座っているとちょうど目線の部分に足首があるのだ。女優は蚊に食われたらだめだと思った。