閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2021/12/03 虹企画・ぐるうぷシュラ『じょるじゅ・だんだん』

f:id:camin:20211204020413j:plain

作:モリエール

訳:恒川義夫

台本・演出:三條三輪

照明・装置・音響:菰岡喜一郎

衣装:サヨコ・中山、今川ひろみ

宣伝美術:小林恵

舞台監督:林正信

演出補佐・制作:跡見梵

出演:松本淳、藍朱魅、三條三輪、跡見梵、植松りか、清水学、荻原俊一

会場:北新宿 虹企画ミニミニシアター

----------

初舞台の演出は土方与志(1898~1959)だったという長寿の演劇人、三條三輪の出演・演出によるモリエール劇の上演となれば、見にいかずにはいられない。さらにほぼ一年前、板橋演劇センターの『終わりよければすべてよし』に三條とともに出演し、堂々たる存在感を示した女優、藍朱魅も出演となればなおさらである。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by 片山 幹生 (@katayama_mikio)

明朗なエネルギーに満ちたモリエール劇だった。上演会場の虹企画ミニミニシアターは、大久保駅から徒歩5分ほどのところにある劇場だ。舞台の間口は6メートルほど、客席は50席くらいか。『ジョルジュ・ダンダン』の初演はヴェルサイユ宮殿での祝宴の枠組みの中で、音楽とバレエ付きで上演されたスペクタクルだったが、こうしたこじんまりした劇場での上演がむしろふさわしいように思えた。

貴族女性と結婚した裕福な農民、ジョルジュ・ダンダンが、妻に浮気された上、貴族たちにバカにされ、さんざんいたぶられるという話で、現代的な観点から読むとダンダンのいじめられかたはあまりにも理不尽で、ダンダンがかわいそうに思えてしまう。しかし三條版『じょるじゅ・だんだん』では、ダンダンは理不尽な仕打ちを受けながらも、一方的にやられたりはしない。屈辱的な謝罪を強いられても、それで凹んだりはしない。なにくそと、しぶとく意地悪な貴族たちに立ち向おうとする。『じょるじゅ・だんだん』ではダンダンだけでなく、あらゆる登場人物がしたたかで、利己的で、浅はかだ。

素朴で絵本のような味わいのある舞台美術、派手で突飛な衣装、大仰な喜劇芝居によって、架空の十七世紀パリ郊外のファンタジーを強引に出現させてしまう。一見不器用で粗く思える演出だが、第二幕の暗闇のなかのだんまり芝居の照明の加減は絶妙だったし、ミュージカル・シーンの導入のタイミング、そしてその場面の楽しさとおかしさは秀逸だった。『ジョルジュ・ダンダン』がコメディ・バレという音楽舞踊劇であったことを思い起こさせた。

伯爵夫人を演じた三條三輪の歩きは不安定で見ていてハラハラしたが、その明瞭で品格のある台詞回しは見事だった。彼女の台詞でピーンと筋が通るような感じがした。ジョルジュ・ダンダンの妻である貴族の娘、アンジェリックを演じた藍朱魅の堂々たる存在感も目を引いた。彼女が舞台に登場すると舞台がぱっと明るくなった感じがする。ゴージャスで典雅だけれど、利己的で卑小でもある貴族娘が見事に具現されていた。

浮気相手の伯爵を演じた跡見梵は、浮気男のうさんくささと高貴さとがしっかりと表現されていた。アンジェリックの小間使いをクローディーヌを演じた植松りかとダンダン役の松本淳は、めりはりのある表情とジェスチャーの演技で、芝居全体をひきしめていた。

見た目の洗練とか完成度の高さは求めない、ただ戯曲の核心となる部分をなんとかして伝えたいという心意気は見て取れる。いろんな意味で破天荒で自由な舞台だった。

こんなにおおらかで、奔放な活力に満ちたモリエールは他ではちょっと見ることができないだろう。大胆な翻案は施されていたが、モリエール劇のエッセンスとメッセージはしっかりと伝える筋の通った芝居だった。

f:id:camin:20211204020434j:plain