二月の半ばにGoogleカレンダーを見ていると、3月6日(日)に《「三角点物語」@座間市目久尻川》と記入してあった。多分、平原演劇祭だとは思ったのだが、どんな企画なのか全くイメージがわかない。まず「三角点」というのが何か私は知らなかったし(恥ずかしながら)、座間市目久尻川という地名もこれまで平原演劇祭の上演会場とはなったことがない未知の場所だった。
昨年末に平原演劇祭主宰の高野竜さんが崖から転落し、脳挫傷を負って以来、公演の公式情報はtwitterだけが頼りになっている。2/25に公演の告知が出た。
【告知】#座間演劇「三角点物語」
3/6(日)12:00
相鉄線かしわ台駅西口集合
1000円+投げ銭
雨天決行(荒天随時判断)
出演:青木祥子、角智恵子
座間丘陵をめぐる神話と測量について神奈川県民ふたりの即興で語られる、口立て演劇。行軍アリですので足元しっかりの装備でご来場くださいませ!#平原演劇祭 pic.twitter.com/qXHjAxbudL— 平原演劇祭 公式 (@heigenfes) 2022年2月25日
「行軍アリ」とあるのでとにかく歩くのだろう。主宰の高野竜(@yappata2)、出演者の角智恵子(@chiengeki717)、青木祥子(@mitonokei)が公演の予行練習の様子を断片的に報告していて、それを読むととにかくハードに歩きそうな感じだ。予行練習では歩行距離はおよそ10キロくらいとあった。舗装路ばかりなのでそんなにきつくないと高野はツィートしていたが。けっこうきつそうな予感はしていたが、ダイエットのための運動だと思えばいいかと思い、覚悟を決めた。
相鉄線かしわ台は私にとってはじめての駅だった。神奈川県のほぼ中央部とはいえ、うちから行くとなるとかなり遠く、2時間弱は見ておく必要がある。小田急線の海老名駅で、相鉄線に乗り換えて一駅のところにある。海老名駅で電車から降り、改札への階段を上ろうとしていると、「片山さん」と後ろから声をかけられた。高野夫妻だった。高野竜は主宰なのでかしわ台駅に待機しているのかと思えば、この日はそうではなかった。この日の#座間演劇は、当日の進行はほぼ角と青木に丸投げで、高野は企画立案者に過ぎなかった。
昨年末、脳挫傷という重傷を負い、その後遺症があるという高野だが、1月、2月に行われた平原演劇祭での様子では徐々に回復しているように見えた。しかし奥さんの付き添いで小田急線から相鉄線に乗り換えるときの彼はヨタヨタしていて、実は普段はこのたがが緩んだ状態なのかもしれない。SUICAの利用を拒否したらしい高野が乗り換えでもたもたしていたため、かしわ台駅到着は集合時間の12時ギリギリだった。
平原演劇祭の観客の数はなかなか読みにくいのだが、この日、集合時間の12時にかしわ台駅にいたのは、出演者の角と青木、高野夫妻、そして私と常連観客の一人のI氏の6名だった。純粋観客は私とI氏の2名ということなる。駅を出発し、目久尻川沿いを歩きはじめたときに、もう一人観客が加わった。
「今日の演劇は完全に口立てです。座間をぶらぶら歩いていて話しているだけ、と思っていると、実はそれが案外演劇的だったりするかもしれません」といった内容のことを高野が言う。とにかく駅舎を出て、出発することに。
口立てで高野が角と青木に何をどのように伝えたのか知らないけれど(もしかすると具体的な内容はあまりなく、「だいたいこんな感じで、こんなことを話してくれ」という大雑把なものだった可能性もある)、きっちりとした物語のあるドラマが歩きながら展開するというわけではなかった。「口立て」ということで、私は大衆演劇のベタな人情時代劇みたいな感じでやるのかなと、実は思っていたのだがそうではなかった。
最初は主に青木が観客に(といっても私とI氏ともう一人しかいないのだが)、川縁を歩きながら雑談風にポツポツと語りかける。全然、演劇の台詞という感じではない普通の調子で。
事前に「早歩きは勘弁してくれ」とtwitterで訴えていたので、優しい角と青木は運動不足のおっさん観客を気遣ってゆっくり、たらたらと歩いてくれた。ただ私には「長い距離歩かなきゃいけないんだ」という気負いがあって、青木や角が話しているときは一応その内容を聞いてはいるものの、どちらかというとしっかり歩く方に意識が向かっていた。他の二人の観客もそれぞれ自分のペースで歩いていて、観客にまとまりがない。高野竜さんはやはり弱っているのか、歩みが遅れがちだ。
青木と角の雑談も是が非でも話している方に注意を向けさせて「聞いてださい!」という感じではなく、こっちの様子や周りの風景を見ながら、ぽつりぽつりと話す感じだった。青木と角はいったいどちらに向かって話せばいいのか、若干戸惑い気味だった。
前半は青木と角の雑談のような、蘊蓄のような、緩やかな観光ガイドのような話を聞きながら、座間市内を流れる目久尻川沿いの道をひたすら歩くというものだった。その雑談の過程で、座間市が日産の企業城下町でそれなりに繁栄し、現在も東京・横浜の大都市圏のベットタウンとしてそれなりの人口を抱えている都市であることを知る。
目久尻川は幅3メートルくらいの河川で、今回歩いたルートではそのごく一部が暗渠化している。護岸工事が施され、両脇は建て売りの無個性な一戸建て住宅が並んでいる。角は自分は八王子出身で、出身地の八王子には深い愛着を持っているが、最近、住み始めたこの座間市も気に入っている、ということを何回か話した。殺風景、無個性な河川をたどって歩く演劇ということで、これはここ数年、平原演劇祭でやってきた暗渠演劇のバリエーションということになる。平原演劇祭の野外劇の会場はどこも風光明媚で風情のある観光地ではなく、どちらかといえば埃っぽくて、無味乾燥な風景の場所が多いのだけれど、座間市の目久尻川沿いはこれまでの平原演劇祭町歩き演劇のなかでも、私が経験したうちでは、最も詩情に乏しい散文的な風景だった。
没個性的で、味わいは皆無、しかも気持ちのいい快晴の休日の午後にもかかわらず、町の空気はどんよりと重い。
この没個性的、非文学な町の風景で独特なのは、とにかくやたらと地名の由来などを記した石碑・石柱が建っていることだ。
そしてこうした石碑に興味深い土地のエピソードが記されているのかと思えば、どうでもいいような定型的でつまらないことしか書いていない。特に言及する意味があると思えないありふれた道や坂道に名前がつけられて、その由来が記されている。その多くは教育委員会がやっているみたいだが。
「そういうなんでもないようなところに、いちいち名前をつけて、石碑を建てて、無理矢理説明してしまう、町自体が自分たちは無名で何の特徴もない場所なんだ、ということを確認してしまうようなところが愛らしくていいんですよ!」
と、現在、この町の住民であり、この町で働く角は力説していた。確かに石碑だらけの町並みは妙で面白いともいえるが、長距離散歩の疲労もあり、これは税金の無駄遣いじゃないか、よく議会が予算承認したもんだな、石屋と利権でつながっているんじゃないか、などといったネガティブな感情も抱いてしまう。
目久尻川の終点らしきところまで行き着く。終点は小田急線の線路のそばにある団地の敷地にあった。もしかするとこのあと暗渠化しているのかもしれないが。しかしこの目久尻川散歩は、この演劇の歩きの2/3だった。終着点は、座間市内にある「相模野基線南端となった三角点」である。さらに一時間ほどの距離があるとのこと。しかも今度は若干上り坂みたいだ。
「実は『三角点』というのが何なのか、私はわからないんだ」
と言うと、角は
「あ、予習してこなかったんですね。それはよかった。まさにそれを語りたかったんですよ」
と、三角測量の歴史、江戸時代の座間の夏草騒動、冬草騒動という乱闘事件、伊能忠敬の測量法、そして明治期、軍部主導ですすめられた地図製作の作業、三角点とは何かといった話を、歩きながら話した。ここは聞かせどころと角の語りに力は入ったが、歩きながらこういった込み入った内容を話すのは大変だ。前を向いて話してもしかたないので、後ろについてくるわれわれのほうを向いて話すのだからなおさらである。
私はさすがにこのあたりになると疲労が蓄積していて、彼女の顔を見て、頷きながら話を聞く気力は残っていたなかった。下手にゆっくりタラタラ歩いているとかえって疲労が大きくなり、動けなくなりそうな気がして、できるだけリズミカルにたったかたったか歩いた。座間の高台の平らな大地にある巨大なイオンモールで休憩という話もあったが、とにかく終着点にできるだけ早くたどり着きたいという気持ちのほうが強かった。
近代日本の地図の出発点となった座間市の一等三角点は,私有地の住宅の階段の下にひっそりとあった。ここから日本地図がはじまったのだという壮大な話なのに、その存在はじつにつつましいものだった。到着は午後4時過ぎ。約10キロの道のりを4時間かけて歩いたがゆえに、地図作りの先人の労苦の大きさも多少は想像出来たように思う。この演劇の最終目的地である一等三角点から、最寄り駅の小田急線南林間駅まではさらに一本道を20分弱歩かなければならず、これがけっこうつらかった。
帰宅後、国土地理院で昨年、「一等三角点物語」という企画展が行われていたことを知った。この企画展が、今回の#座間演劇「三角点物語」の元ネタだったのだ。
上記企画展のウェブページには三角点測量について詳しく解説した資料があったが、それをざっと読んだものの、いまだ三角測量の原理を私は理解できていない。
口立て演劇、お散歩演劇、ポストドラマ演劇。風景と観客、風景と観客をつなぐ媒体である役者がいれば、そこに演劇は生まれる。
歩いているときは疲れたけれど、家であの劇体験を反芻していると、なぜかノスタルジックな気分になった。見知らぬ町の散文的風景が詩になったような気がする。