閑人手帖

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2020/12/31 平原演劇祭2020第9部#まつもうで演劇 #冬いちご

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平原演劇祭2020第9部 #まつもうで演劇 「冬イチゴ」

2020/12/31(木)12:00 JR高尾駅北口集合

廿里(とどり)の白山神社奥社近辺(高尾駅より徒歩15分)

演目:「冬イチゴ」

出演:SAKURA、フェニックスのサヤ、高野竜 

 2020年12月は平原演劇祭の公演が3つあった。全部参加するつもりだったのだが(観客として)、12/20の鋸山演劇は新宿さざなみが事故運休で行くのを断念した。上演時間を遅らせて、蘇我駅まで車で迎えが来ると言うことだったのだが、その前週の12/13に黒山三滝で転倒して手首にひびが入ってしまったことで、心が若干弱くなっていた。鋸山は険しい山道を登らなくてはならない体力的にハードな公演だったとのことで、手首にひびが入った状態で行かなくて正解だったと思った。

今回は12月に入ってから急遽決まった公演だ。平原演劇祭のnoteを読むと稽古の様子の記事があるし、高野竜さんのtwitterなどでも公演情報があったのだが、私は事前にそうした情報はろくに参照しないまま、集合時間と場所だけ前日にメモしただけで、現地に向かった。

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集合場所の高尾駅に降りたのは私ははじめてだった。高尾山の最寄り駅かと思っていたのだがそうではないらしい。駅前はがらんとしている。高尾駅は私が乗った中央線快速の終着駅だった。かなりの数の乗客が降りたけれど、どこに行ってしまったのだろう。朝方はかなり寒かったので、山の中の野外演劇ということで駅近くのコンビニエンスストアでカイロを購入した。

集合時刻の12時をちょっと過ぎたころに、高野さんが登場。

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今日の観客は私を入れて6名だった。おっさんが3名と若い女性が3名。13日の山奥、20日の鋸山のような登山演劇であることは強調していなかったのだが、竜さんの格好がやけに「本格的」なのが気になった。靴は黒長靴で、泥で汚れている。

「いやあ、稽古でけっこうヘロヘロになりまして」

と言っていたので、果たして私は大丈夫だろうかとちょっと不安になる。高尾駅の北側には南浅川が流れていて、そのすぐ先には山が迫っている。

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「右手が大正天皇陵です。われわれの上演会場は左手の山です」

と竜さんから説明があった。川を渡って左に曲がり、川沿いの一戸建ての住宅街を15分ほど歩くと、上演会場の廿里(とどり)白山神社の入り口に到着した。何の変哲もない町中の小さな神社という感じだ。

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今回の公演は神社に許可を取っていないゲリラ公演だという説明が竜さんからあった。「#まつもうで」とは「年末詣で」のことのようだ。元日は初詣でそれなりに賑わうだろうけれど、大晦日の昼間なら参拝客はいないだろうということで、この日を選んだそうだ。もし神社のひとがいてなんか聞かれたら、『コロナなので人があまりいなさそうな大晦日のうちにお参りしようと思いまして』とか言ってごまかして欲しいとの指示があった。

高野さんは今回の主演女優とは三回しか会ったことがないという。平原演劇祭の野外演劇をツィッターで知って興味を持ち、連絡があったそうだ。それで急遽、高野さんが戯曲を書き、今日の上演に至ったとい言う。「実は通し稽古もやってないんですよ」とのこと。

神社の本殿は山のなかにある。まず整備されたコンクリートの石段を上ったところにあるのが拝殿。その脇に細い参道があり、10分ほど登ったところに本殿がある。上演場所はその本殿からさらに数十メートル奥にある奥宮(?)とのこと。作品の上演自体は30分ほどだということでちょっとほっとする。

拝殿までの階段はたいしたことがない。しかしそこから本殿に至る森の木々のなかの参道は細くて、傾斜が急だった。

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肥満と運動不足の身にはけっこうきつい。この前のように転けては大変なので、慎重にゆっくりのぼったが息が切れた。本殿までのぼっていったん休憩。

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この本殿前の広場で高野竜さんの前説があった。『古事記』の最初の部分の概説のあと、コノハナサクヤヒメのエピソードの説明があった。コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの姉妹は二人セットで、天照大神の孫であるニニギノミコトと結婚するのだが、ニニギノミコトは美しいコノハナサクヤヒメだけを愛し、醜いイワナガヒメを追い返したという逸話である。この前説を話しているときに、小さい子供二人を連れた親子四人連れが参道を上ってきた。子供は興味深そうに、前説を語る竜さんを見ていたが、後から上ってきた両親は得体の知れない小集団をちょっと警戒している風だった。そりゃそうだろう。

この前説のあと、本会場である本殿からさらに数十メートル奥に張ったところにある奥宮に行くように促される。奥宮への道は数日前までは枯れ葉で覆われていたが、大晦日の今日は初詣参拝客の便宜のため枯れ葉が取り除かれていた。

奥宮(?)には石碑のようなものがあるだけだ。その向こうはほぼ崖といっていいような急斜面になっている。

高野竜さんが『古事記』のコノハナサクヤヒメとイワナガヒメのエピソードを読み始めた。

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急斜面のきわにある切り株に黒づくめのカラスのような男がうずくまっている。竜さんが古事記の一節を読み終えると、そのカラス男が語り出したのだが、それが何を言っているのかよくわからない。

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竜さんが読み上げた『古事記』のコノハナサクヤヒメの内容とはまったく関係のないことを語っていることは分かってきた。カラス男は足を踏み外せば、後ろの急斜面を転がり落ちるようなところで、奇声を発し、動きながら何かを語っている。

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私は『弱虫ペダル』が自転車レース青春ものらしいということぐらいしか知らないのだが、上演中は「もしかするとこれは『弱虫ペダル』なのかな」ぐらいは聞こえてくる言葉の断片から判断できた。終演後にカラス男を演じたフェニックスのサヤ氏に聞いてみると、やっぱりそうで、本筋の古事記とはまったく関係ないことをやっていたことを確認出来た。帰宅後、平原演劇祭のnoteを読むと、「2.5次元担当で弱ペダ18巻インハイ箱根クライマックスの御堂筋・金城・福富をひとりで演じる」とあった。

このカラス男が演じているときに、先ほど本殿であった親子四人がやってきたのだが、さすがにこれは危ないと思ってすぐにそのまま引き返してしまった。そりゃそうだろう。

カラス男が森の木立のなかに退場すると、それと入れ違いに小柄な少女が奥宮の石塚の方へやってきた。

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彼女の言っていることはわかる。コノハナサクヤヒメの現代版だ。彼女は美しい妹のコノハナサクヤヒメの役だ。姿の見えない姉に向かって話しかけている。「冬いちご」の戯曲のテクストはここで読むことができる。

open.mixi.jp

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高野竜さんが読み上げる『古事記』の原典と若い女優が演じる「コノハナサクヤヒメとイワナガヒメ」の現代女子高生版である『冬いちご』が交互に、この森深い山の中で交互に演じられるのがどれほど効果的だったことか(本当は富士山を神体としてコノハナサクヤヒメを祀る浅間神社がよかったと、高野さんは道すがらに話していた)。

12月になって向こうから連絡があって知り合い、急遽戯曲を書き上げ、,今回の上演を行うことになったと高野さんから聞いていたが、現代のコノハナサクヤヒメを演じたSAKURAは、作品のイメージにぴったりの、いかにも高野さんの戯曲に出てきそうな女性だった。高校三年生だとあとで聞いた。可憐で子供っぽい外観だが、これまでにあった傷ついた経験を身のうちに抱え、それに負けない強かさがあるような。

『古事記』の部分も本当は彼女が読み上げるように考えていたみたいだが、高野さんの『古事記』の朗読と彼女の「冬いちご」が交互に上演される今回のかたちでよかったような気がした。

二人は森のなかの神話的結界を移動しながら演じる。何回か古事記の語りと現代劇の交錯があったあと、古事記の語り手である高野さんは森の斜面のなかに消えていく。そして別の方向から、最初に出てきたカラス男が自転車とともに現れる。

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関わりのないまったく別の世界の住人であるように思っていた二人の若者が結ばれる美しい奇跡が締めくくりとなる。歌の後、ETのように二人の人差し指が触れあった。

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実質40分ほどの小品だったがとてもいい作品だと思った。高野さんは十代の女性のモノローグの書き手としては一流だ。彼女たちが語り得ない、言葉とすることできない感情、感覚、思いを、みごとに言語化し、詩のような言葉によって代弁する。そしてそのテクスト内容はその上演する場と語り手の身体と結びつき、その場に異世界を生じさせる。

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行きの上りは大変だったが、下りは楽だった。転けないように気をつけて、ゆっくり参道を降りていった。

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下に降りたのは午後2時前だったか。今回は肉体的にはハードでなかったのでほっとした。一年の締めくくりにふさわしい爽やかな観劇だった。