テアトル・エコー 135
http://www.t-echo.co.jp/
- 作:レイ・クーニー、マイケル・クーニー Ray & Michale Cooney
- 訳:小田島恒志
- 演出:平野智子
- 装置:大田創
- 照明:中川隆一
- 音響:小山田昭
- 衣裳:山田靖子
- 上演時間:二時間半(休憩十五分)
- 劇場:恵比寿 エコー劇場
- 評価:☆☆
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多数のドア、出入り口がある居間で繰り広げられ、そのドアを通して多数の人間が行き来する「ドア芝居」喜劇。
その場逃れの嘘を重ねることで、主人公が窮地に陥っていくが、最後の最後は大団円という典型的なシチュエーション・コメディだった。身体的などたばたギャグも盛り込まれる。
大学で聴講している戯曲翻訳の演習で、この芝居を読んでいる最中である。演習では冒頭の部分しか読んでいないのだけれど、養子の受入れ、たばこやブランデーの密輸入、病院から運び込んだ献体死体(腐敗しつつある)、シェイクスピアの『タイタス』のパロディ、アルバニア語しかしゃべることができないコソボ難民と東欧不法入国移民を牛耳るマフィアと、かなり黒い素材をクールにファルスの定型の中にはめ込んだ戯曲という印象を持ったのだけれども、今回の演出では演技があまりにも記号的に思え、僕はあまり楽しむことができなかった。こんな表情、こんな動きをすれば面白いだろう、という誇張された喜劇芝居がやぼったく思えてしまった。展開のスピード感はあるが、笑いの質が「やわらか」すぎて切れに乏しい感じがした。
死体や難民、マフィア騒動による混乱で養子を貰うことはだめになってしまったけれど、最後の最後で妻が妊娠していることがわかって一件落着という結末も、果たして本当にハッピーエンドと言えるかどうか。
この手の芝居はこういう具合にやるしかないのかもしれないけれど、喜劇的定型性を強調するあまり、作品が含み持っていた豊富な毒と底意地の悪さが中和されてしまっているような印象を持った。
ロンドンの小屋ではこの手の芝居はどんな感じで上演されているのだろうか。
機会があれば見てみたいものだ。