平原演劇祭2017第6部
ソビエト100年記念「亡命ロシア・ナイト」
- 日時:2017年11/7(火)19時〜22時。
- 会場:目黒区菅刈住区センター調理室にて。
- 案内人:高野竜、酒井康志、吉植荘一郎、山城秀之
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1977年にソ連からアメリカ合衆国に亡命した2名の批評家によって書かれた『亡命ロシア料理』という本がある。
ロシア料理のレシピが掲載されたエッセイなのだが、単に故国の料理についてて記述するだけでなく、料理を通じた優れたロシア(そして西欧諸国、特に料理文化不毛のアメリカ)文化論となっている。軽妙なユーモアに満ちた切れ味のいい警句が満載されている実に面白い本だ。例えばこの著作には以下のような文句を見つけることができる。
* いい料理とは、不定形の自然力に対する体系の闘いである。おたま(必ず木製のでなければならない!)を持って鍋の前に立つとき、自分が世界の無秩序と戦う兵士の一人だという考えに熱くなれ。料理はある意味では最前線なのだ……。46頁
* もちろんん、シャルロートカを食べて痩せることはない。そのうえ、パンをたくさん食べるのは体に悪いそうだ。しかし、人生とはそもそも有害なものなのだ─なにしろ人生はいつでも死に通じているのだから。でも、シャルロートカを食べたら、この避けがたい前途ももうそんなに恐い気はしない。53頁
* 美への渇望や性欲があってこそ、人は美術館やベッドの中で幸福を感じることができる。それと同様に、空腹は快楽の源泉である。女性や絵画に対する愛と同じように、空腹だって大事に守ってやらなくてはならない。63頁
* ロシア人とフランス人は、いったいどこが違うのか?
答えは簡単。フランス人はカエルを食べる。だからロシア人の方が明らかに優れているのだ。ロシア人は、食に関しては慎重だから、ぴょんぴょんはねるものなど口にしない。105頁
* 香辛料を好む民族は、生活も派手だ。カーネーションを売ってぼろ儲けはするし、ハイジャックはする、血で血を争う復讐には夢中になる。反対に、薄味の料理を好む民族は、無気力と絶滅の運命にある。ラトビア人やサーミ人がそうだ。116頁
* 食べ物は、人間の最も秘めた部分を明かす。ホラティウスを原書で読むような人でも、黒パンにイクラを塗る姿を見られたら最後─用心深く隠してきた庶民の地が、表面に吹き出してしまう。174頁
* 料理とは、まぎれもなく言語である。それも、この上なく豊かな可能性をもった言語だ。形容語、隠喩、誇張、緩叙法、そして提喩に満ちた言葉。詩人プーシキンは、ロシアの居酒屋の名物「プーシキン風ポテト」の生みの親として、何世代もの人の心に残っているが、それも理由のないことではない。174頁
2017年はロシア革命100周年にあたる。平原演劇祭2017第6部は、《ソビエト100年記念「亡命ロシアナイト」》と題し、100年前にソビエト政府政権が確立した11/7の夜に、『亡命ロシア料理』(未知谷、2014)の抜粋を朗読し、そこに記述されている料理を食す、そしてロシア革命周辺の音楽を聴くという企画だった。
ロシア料理の調理は高野竜氏が担当。『亡命ロシア料理』の朗読は、吉植荘一郎、山城秀之の二名が担当した。そして酒井康志がロシア・ソビエト音楽のレクチャーを行った。ロシア・ソビエト美術についてのレクチャーも行われる予定だったのだが、担当の青木祥子が体調不良で欠席となったため、このプログラムは中止となった。
平原演劇祭は10代、20代の若い女性が出演者の中心なのだが、今回は出演者全員が中年男性という平原演劇祭としては異色の催しとなった。
(撮影:片山幹生、『亡命ロシア料理』を朗読する山城秀之氏)
高野氏が再現したロシア料理が美味しかっただけでなく、優れた文明批評でもある著作の朗読とロシア・ソビエト音楽の解説も充実したもので、料理、文学、音楽からロシア・ソビエトの偉大さと悲惨を味わうことができる好企画だった。しかし世間はロシア革命に関心がないのか、この面白そうな企画内容にも関わらず、観客は私を含め3名(後に4名)というごく内輪の会になってしまったのはとても残念だった。この革命記念日に、ロシアがらみのイベントをやった演劇人は他にはいなかったのか。マヤコフスキーの革命祝祭劇『ミステリア・ブッフ』を上演するまたとない機会だったのに上演された話は聞かない。twitterでもこの日、ロシア10月革命に言及していたのは共産党の志位和夫ぐらいだったか(志位のtweetはロシア革命の全面的礼讃というわけでもなかったが、皮肉、嘲笑、罵倒のコメントを大量に浴びていた)。
さて「亡命ロシア・ナイト」、オープニングは高野、吉植、山城の3名による『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986)の挿入歌、《ママ、どうしよう》の合唱だった。
なおこの日の出演者のおっさん4名はみなハンチング帽をかぶっていたが、これは打ち合わせていたわけではなく、偶然そうなったとのことだった。『不思議惑星キン・ザ・ザ』の歌が終わると、吉植、山城の二氏による『革命ロシア料理』の朗読が始まった。
(撮影:片山幹生、『亡命ロシア料理』を朗読する山城秀之と吉植荘一郎)
それから高野竜によるソルジェニーツィンの『チューリッヒのレーニン』の一節の朗読に続く。革命運動のためには大量の資金が必要で、革命家になるにはまず資本家となるのが手っ取り早い、といった皮肉なことが書かれていて大笑い。
(撮影:片山幹生、『チューリッヒのレーニン』を朗読する高野竜)
この後に確か最初の料理タイムが入ったと思う。最初に食べたのは、『革命ロシア料理』の最初の章、「壺こそは伝統の守り手」にあった壺料理だ。陶器製の壺(鍋?)でぐつぐつと煮込んだ鶏肉の料理。ただし『革命ロシア料理』で推奨されているのは牛ヒレ肉である。竜さん曰く、牛肉は調理の扱いがむずかしかったので、鶏肉にしたとのこと。これにサワークリームと小麦粉で作ったソースをかけて食べる。
これは見た目どおり、すこぶる美味い。
酒井康志のロシア・ソビエト音楽講座はこの後だったように思う。このプレゼンテーションも素晴らしかった。革命前のロシア国民学派五人組から、鬼才のスクリャービン、革命直後の輝かしい前衛音楽の数々、そしてスターリン体制後のソビエト音楽まで。ソビエト体制のなかで才能ある作曲家たちが転向し、体制迎合音楽を作ってしまう泣き笑いの状況までを30分ほどで概観した。
1917ロシア・ソヴィエトの革命音楽.pdf - Google ドライブ
(撮影:片山幹生、ロシア・ソビエト革命音楽のレクチャーする酒井康志)
モソロフ、ショスタコなど革命が熱かった時代にかっこいい前衛作品を作った天才作曲家は、体制迎合音楽でもやはりそれなりにいい曲を作ってしまうところが悲しくもある。共感覚者でもあったスクリャービンは誇大妄想の神秘主義者で、頽廃音楽の作り手とみなされても仕方ない異端児だったが、ソビエト当局は没後50周年に記念イベントをやったというエピソードを酒井が話したとき、吉植が「政治的には無害だとみなされていたからでしょうかね」とつぶやいたのがおかしかった。
この後は料理第二弾が続いたのか、あるいは『亡命ロシア料理』の朗読が再開されたのかは記憶が定かではない。 高野竜による亡命ロシア料理の第二弾は、ロシアの代表的な魚のスープ、ウハーだった。
使われた魚はタラと鮭。このスープも実においしかった。ただし『亡命ロシア料理』ではチョウザメが指定されていたとのこと。さすがにチョウザメは日本では手に入らない。『亡命ロシア料理』のレシピの記述はかなり大ざっぱで、材料はロシア国外では入手が難しいものが多いと言う。この本の著者が移住したアメリカでも、故国のロシア料理の再現には苦労したに違いない。高野竜曰く、亡命ロシア料理なので、とりあえずの間に合わせの材料でそれっぽいものを作るのが主旨に合っているだろうとのこと。確かにそうだ。
会のしめは『亡命ロシア料理』の朗読だったが、会場の退室時刻が迫っていたため、食事の後片付けをしながら朗読を聞くという慌ただしいフィナーレになった。
(撮影:片山幹生、『亡命ロシア料理』を熱く朗読する吉植荘一郎)
出演者4名、観客4名(うち1名は音楽のプレゼンに関わる)というこじんまりした会だったが、美味しくて、楽しくて、ためになる、実に充実した夕べだった。