note.com
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2021/5/30(日)12:45@鋸山岩舞台
全額投げ銭
出演:栗栖のあ、北條風知、高野竜
原作:コルートス
昨年12月20日に行われた平原演劇祭@鋸山演劇は、鋸山最寄り駅に新宿から直通で行くことができる特急《新宿さざなみ》の突然の運休という事態に見舞われ、その前週に越生の黒山三滝で転倒して手首を骨折していて気が弱っていて、観劇を断念した。前回の鋸山演劇の参加者のリポートを読んで、かなり険しい山道を上り下りする体力的にかなりきつい観劇だったことを知り、行かない決断をしてよかったと思った。
今回は公演会場に直接集合と告知にあった。いろいろバタバタ用事が詰まっていたので、平原演劇祭twitterやnoteにあった告知文を事前にちゃんと読んでいなかった。鋸山山頂まではロープウェイで行けると言うし、とりあえず「JR特急新宿さざなみ3号、新宿発09:08-浜金谷着10:54」を頭に入れておけば、他に知り合いの参加者もいるのでなんとか会場にはたどり着けるだろうと考えた。
鋸山には30年ほど前、大学の美術サークルのスケッチ遠足で行ったことがある。平原演劇祭は公演会場が野外の特殊な場所でアクセスが面倒だったり、現地では立ったままの観劇で、ときにやたら歩かされたりすることがあって、体力的にきついことがちょくちょくあるのだが、今回は家族連れの観光客も多い鋸山、しかもロープウェイで行ける場所ということで、体力的には余裕だろうと思っていた。
さきほどよく見るとnoteの告知には、「丈夫な靴と虫除けスプレー推奨」と太字で注意書きがあったのだが、そこはちゃんと見ていなかった。その上に「全行程徒歩登山の場合駅から「岩舞台」まで小1時間」とあり、ロープウェイ利用なら会場のすぐそばまで行けるのだろうと思っていたのだ。
特急新宿さざなみ号で鋸山の最寄り駅の浜金谷駅までは2時間弱とかなり遠いが、乗り換える必要がないので楽ちんだ。車両もきれいで、空いていた。浜金谷はがらんとした田舎の駅だった。同じ列車には平原演劇祭観劇者が私以外にも数名乗車していた。私はぼのぼのさんとアンジーと行動をともにすることにする。ぼのぼのさんは昨年末の鋸山演劇を観劇していて、土地勘がある。ロープウェイに乗車する前に浜金谷駅周辺で昼ご飯を食べるところを探したのだが、新型コロナの感染防止のためか、閉まっている店が多い。営業している店にはかなり長い行列が出来ていた。並んで待っている時間がもったいないので、ロープウェイの山頂駅にある食堂で昼ご飯を食べることにした。
浜金谷駅からロープウェイの駅まではけっこう距離があった。浜金谷駅周辺はひなびた田舎の漁師町で、観光客らしき姿はあまりなかったのだが、鋸山山頂に向かうロープウェイ駅にはかなり多くの観光客がいた。ロープウェイも詰め込みの三密状態だ。
山頂駅に附属するレストランで昼飯を食べる。レストランで平原演劇祭にしばしば出演する女優夏水さんや平原演劇祭観客の常連と会う。山頂レストランはラーメン、カレーといういかにもこういう観光地にありそうな定番メニューしかない。「びわカレー」というのが名物とのことでそれを私は注文した。びわのピューレが入っているとのこと。食べてみるとびわの風味はあまり感じられず、きわめて平凡な和風カレーライスだった。竹炭が練り込んだ地獄ソフトクリームという真っ黒なソフトクリームも食べる。味は普通のバニラソフトクリームだった。
公演場所が鋸山のどこなのかは私は把握していなかったけれど、あんじー、夏水さんというきれいな女性と一緒に観光地ということで、展望台で記念写真を撮るなどしてちょっと浮かれた行楽気分に浸る。
公演開始時刻まではまだ大分余裕があったので、鋸山日本寺の敷地内のポイントを回ることにした。公演会場となっている岩舞台には、有料地域である日本寺の敷地を通らざるを得ないようで、それだったら観光もしておこうということで。地獄のぞきというせり出した絶壁の名所により絶景を楽しんだのち、大仏を見てから会場に行こうかということになり、まず地獄のぞきを目指す。
鋸山 日本寺 公式サイト | 境内案内
ロープウェイ山頂駅から地獄のぞきまでは一本道なのだが、ずっと上りの階段で、しかも途中からは階段がかなりの急斜面になる。思っていたよりはるかにきつい道のりだった。地獄のぞきの絶壁の近くにある山頂展望台に着いたときには、汗だくで息も絶え絶えという感じになっていた。ひざもガクガクだ。地獄のぞきには長い行列ができていて、とてもその行列に並んで地獄のぞきを見学する気になれない。ぼんやりと地獄のぞきのほうを見ていた。汗がひくまで山頂展望台で休憩するとけっこうな時間が経っていた。
大仏の見学はあきらめて、天上展望台から直接公演会場の岩舞台に向かうことにしたが、岩舞台に向かう道を通り過ぎてしまい、いったんロープウェイ山頂駅まで下り、そこからまた同じ道を上っていくことに。幸い急斜面の手前に岩舞台方面への分岐道があったのだが、すでに体力の消耗が激しい。そしてここから公演会場の《岩舞台》までの道のりが想像していた以上に険しい道だったのだ。公演会場が鋸山のどこにあるかは私は事前にチェックしていなかった。その場所が「岩舞台」と呼ばれるかつての石切り場だったことも、当日、公演会場に到着してから知った。
Google マップ
今、Google マップを見ると、「岩舞台」は先ほどまでいた地獄のぞきのほぼ真下にあり、鋸山日本寺の境内の出口から直線距離で数百メートルほどしかない。私たちが金谷下山口から出て《岩舞台》に向かって歩いたのは、浜金谷駅方面に降りる鋸山裏登山道という道らしい。これが行楽気分で鋸山にやってきた私にとってはとんでもない山道だった。すでに天上展望台への階段の上りで体力消耗していたのだが、それに追い打ちをかける険しさ。ところどころに分岐点があるのだが、「岩舞台」へ行く道筋はたまにしか表示されていない。私一人だったら《岩舞台》まではたどり着くことはできなかっただろう。たぶん途中で諦めて引き返していたと思う。もしかすると境内出口から岩舞台までは30分ほどぐらいしか歩いていないかもしれないが、岩舞台に着いたときには息絶え絶えという感じだった。平原演劇祭は会場に行き着くまでの道のりやその公演の道中がきついことは少なくないが、今回の鋸山は私が経験したなかでは一番体力的にはきつかった。この道中がきつすぎて、写真を撮る余裕がなかった。
平原演劇祭に限ったことではないが、平原演劇祭については特に公演会場までの道のりも公演の一部のようなものだ。かつての石切り場である公演会場には、『阿呆ヘレネ』の出演者のほかは、観客らしきひとはわれわれを含めごく数名しかいない。「偶然」同じ会場で、『阿呆ヘレネ』のあとに行われるテリー・ライリー《in C》の演奏者たちがしばらくするとやってきた。演奏者の人数は約10名くらいか。彼ら、彼女たちは、楽器を担いであの山道を歩いてここまでやってきたのだから、たいしたものだ。日頃、運動してそうな生きの良さそうな人は見た感じいなかったのだが。
予想以上の難路ゆえ、観客の到着が遅れていたようだ。12:45の開演が予告されていたが、実際の開演はそれより遅かったみたいだ。私は既に疲れ切っていて時計を確認する余裕もなく、何時に始まったのかわからない。
最初に高野竜から今回の公演の原作であるコルートスの短編叙事詩「ヘレネー誘拐」について簡単な紹介がある。コルートスは6世紀のエジプトの詩人とのこと。トロイア戦争の発端の一部始終が語られる。トロイア戦争物としてはマイナーな作品で、できもあまりよくないとのこと。高野、のあ、北條の三人が、《パリスの審判》、《ヘレネー誘拐》の主要登場人物を一人語りのかたちでリレー式に演じていく。野外での公演だが、垂直に切り立った巨大な石の壁に声は反響してよく聞こえた。
平原演劇祭あるいは《in C》の演奏のために岩舞台に来たわけではない一般観光客もいた。彼らにはこの集団はどのように見えただろう? あやしげな新興宗教の集会のように感じたのではないだろうか。
この会場に着いた時点で疲労困憊で、観劇どころではないという感じだったのだが、高野竜が石切り場の二段目に移動し、巨大な岩壁を前に朗々とテクストを読み上げた瞬間、ここまでこの公演を見に来てよかったと思った。トロイア戦争の叙事詩的世界が表現されるにふさわしい壮大なオープニングだ。平原演劇祭はそのほとんどが劇場でない場所で上演されるが、効果的に空間の特性を生かした演劇を作るという点で高野竜ほど卓越した演出家はそうそういないだろう。
神話的・叙事詩的世界の幕開けを告げるテクストをあの場にふさわしい荘重な響きで読み上げたあと、高野は読み上げていたテクストを記していた紙を崖の上から地上に投げる。灰色の岸壁、緑の草木をバックにひらひらと落ちるその紙が作り出すスペクタクルは実に印象的だった。
紙がゆっくりと舞い落ちるなか、地上で待機していた牛の仮面の男がおもむろに動き出し、トロイヤ滅亡のきっかけとなった物語が始まる。この演出のかっこよさ。俳優の声が岩にいい感じでこだまして実にいい感じで響き渡る。
しかしその荘重さは、すぐに栗栖のあが演じる関西弁でまくしたてるアフロディテによって、喜劇的な世界に転換していく。
上演時間は1時間弱だっただろうか。垂直に伸び、三層になっている石舞台のダイナミックに生かし、俳優たちの声と身体をその場にいる人たちを別の非日常的世界に連れて行く。ときに偶然、この時間帯にこの場所にやってきた一般観光客を強引にその演劇的風景に取り込んでしまうこともあった。会場に到達するまでの過酷な道のりのつらさを帳消しにするような充実した時間を楽しむことができた。
さて平原演劇祭のあとは、同じ会場で「偶然」行われることになったテリー・ライリーの《in C》と14世紀の歌曲写本『モンセラートの朱い本』の演奏会だ。《in C》の演奏会は、高野竜さんの盟友であるミュージシャン、酒井 康志が不定期に行っているイベントで、不特定多数のミュージシャンによびかけていろいろな場所に集まって《in C》をゲリラ的に演奏するというものだ。おそらく昨年12月の平原演劇祭の鋸山での上演に来て、酒井さんはここで《in C》イベントをやりたいのだと考えたのだと思う。《モンセラートの朱い本》は中世世俗音楽歌曲集として録音も数多く、古楽ファンにはよく知られているが、酒井さんのtwitterをフォローしているかたが「『モンセラート』は「ノコギリ山」って意味だそうだから、鋸山で《モンセラートの朱い本》の曲も演奏すれば」と提案したことがきっかけで、今回のプログラムに組み込まれたようだ。このため、今回のイベントでは古楽系のミュージシャンが多数参加することになった。演奏会場のこの光景だけで、すでに最高なのだが、この環境での中世音楽と《in C》の演奏はやはり格別で唯一無二の音楽体験となった。演奏者の方々はつらい思いをして楽器を運んでこんなところまでやってきた甲斐はあったと思う。
まず《モンセラートの朱い本》から二曲演奏があり、そのあとに《in C》の演奏が続いた。《in C》の演奏時間は約45分だった。巨大な反響板となった石切り場の岩の音響効果、音楽の演奏に応えるような鳥の声、そしてこの風景の綜合が作り出したすばらしいスペクタクルだった。45分にわたる《in C》の演奏が終わった後の静けさ、あの美しい緊張感は忘れがたいものだった。こんなつらい思いをして会場まで行かなければならないのはもう勘弁して欲しいが、でもあの音楽体験はまた味わってみたい気もする。
この音楽イベントについては、togetterにまとめられている。
togetter.com
映像記録もyoutubeにいくつか上がっていた。次回あるようなことがあれば、もっと洗練されたかたちで映像記録も残されるだろう。今回は演奏者の大半は、「鋸山で《モンセラートの朱い本》と《in C》の演奏だって!面白そう」と思ってやってきたのだろうが、まさかこれほどまで会場到達が過酷だと分かっていた人は、主宰の酒井さんを除いてはいなかったはずだ。
www.youtube.com
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さて「家に帰るまでが遠足」とよく言われるが、平原演劇祭はまさしくそうだ。終演後は山の中を通って、下界に戻らなくてはならない。肥満で運動不足のうえ、昨年12月に黒山三滝で転倒して手首の骨を折ってしまったので(今回も《in C》の演奏終了後に転倒した)、下山も用心深くなる。すでにかなり疲労しているので。下山の山道には階段らしきものはあったのだが、急斜面だし、気をつけないとすべって足をくじいてしまいそうだ。鋸山の麓の自動車の通る道までは30分ほどかかっただろうか。
高野竜さんに下山時にはついて行った。彼はこの一年間で10回以上鋸山に登ったそうだ。おそらく帰りに通った道は、石切職人が石切り場への近道で通っていた非正規の裏道だと思う。自動車の通る道まで降りたあとは、そのあたりに駐車していたらしい高野さんの車にのって、浜金谷駅まで送って貰った。
今回はなんとか怪我することなく無事に帰宅できた。やれやれ。肉体的には非常にきつい観劇となったが、そのきつさに見合う面白い体験を今回の平原演劇祭でもすることができた。
しかし平原演劇祭は野外劇の割合がこのところ増え、しかも段々、観客も体力が要求されるようになっているような気がする。雪山演劇というのもたしか予告されていたような。今後のことを考えると、やはりもっと痩せて、しかも体力をつけ、対応能力を向上させる必要がある。あとトレッキングシューズは、今後の観劇のために、購入しておこうと思った。