遠藤栄蔵が主宰する板橋演劇センターの第106回(!)公演を見にいった。遠藤は小田島雄志訳のシェイクスピア作品を40年前から上演し続けている。 『終わりよければすべてよし』All's well that ends wellの上演は珍しい。私は初めて見た。シェイクスピアには、見終わってもすっきりしない「問題劇」と呼ばれる作品があって、『終わりよければすべてよし』はその一つだ。平民の娘が、貴族の男と結婚することになったのだが、男はその娘を拒み、逃げ出してしまう。娘はその男を追っかけ、初夜のベッドで別人と入れ替わるというトリックをつかって、その貴族の男と結ばれ、男は娘との結婚を受け入れざるを得なくなるという話だ。たしかにこの後、娘が幸せな結婚生活を送ることができるとは思えず、ハッピーエンドといってもすっきりしない。
午後4時から豊岡市役所に隣接する豊岡稽古堂で、東京デスロック『anti human education III 〜PENDEMIC Edit.』を見る。多田淳之介らしいユニークな切り口の作品だった。学校の授業のスタイルで、各教科ごとに新型コロナ禍について先生役の俳優が観客に向かって授業する。ドリフなどのお笑い番組の学校コントを連想する。
この録音がされた年に、私はパリに留学していてオペラ・バスティーユでこの名曲を聞きました。メシアンは存命中で私が座っていた座席の数列前の席に座っていました。終演後、指揮者のミョンフンに促されてメシアンが立ち上がり、観客に向かってゆらゆらと手を振った様子が思い浮かびます。《メシアン:トゥランガリーラ交響曲》を通しで聞いたのはこのコンサートが初めてでした。すごい音楽を聴いてしまったなあと、終演後うちのめされ、呆然としていたことを覚えています。 このとき私は学部の4年で、パリに語学留学していたのでした。学生の身分でパリにいるときに得られる恩恵のひとつは、超一流のアーティストたちのコンサート、オペラ、演劇、美術などを学生料金(しばしば無料で)で浴びるほど見ることができるということです。当時、オペラ・バスティーユ管弦楽団の主任指揮者だったチョン・ミョンフンのコンサートには足繁く通いました。 2002-2003年にパリに留学していたときには、ミョンフンはフランス放送フィルハーモニー管弦楽団の主任指揮者でした。私が住んでいた19区のアパートから歩いて10分ほどのところにCité de la musiqueがあり、ここのホールで度々フランス放送フィルハーモニーのコンサートが行われていました。 この年度のシーズンはミョンフンが振ったコンサートでパリとパリ近郊で行われているものはすべて通ったと思います。そのなかでもシテ・ド・ラ・ミュージックでのフランス放送フィルハーモニー管弦楽団によるチョン・ミョンフン指揮《シェヘラザード》のコンサートでの感動の大きさはしっかりと身体に刻み込まれています。ダイナミックな表現のなかでわきあがる濃厚な官能性に陶酔し、体中がじんじんしびれて、終演後しばらく立ち上がれませんでした。 パリに留学していたとき、チョン・ミョンフンの音楽にどれほど元気をもらったかわかりません。
トマス・タリス(1505頃-1585)は、テューダー朝の時代のイングランドを代表する作曲家のひとりです。彼の作品のなかでももっとも知られているのは、「40声部のモテット」こと《スペム・イン・アリウム》Spem in aliumでしょう。この曲の録音は数多いですが、私がはじめて聞いたのは(そして衝撃を受けたのは)1985年に発売されたザ・タリス・スコラーズのこのアルバムでした。 40声部の合唱曲は、各5声部からなる8群からなっていて、常に40声部が響いているわけではありません。じわじわと移動する蟻の大群のように声部が重ねられ、途中何箇所かで40声部すべてが歌われます。全声部が重ねられたときの音のうねりがしびれるような陶酔感をもたらします。合唱音楽の最高峰と言える傑作といっていいでしょう。
Spem in alium nunquam habui praeter in te, Deus Israel, qui irasceris et propitius eris, et omnia peccata hominum in tribulatione dimittis. Domine Deus, creator coeli et terrae respice humilitatem nostram.