閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2021年の平原演劇祭

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2021年の平原演劇祭は13部まであった。異なるプログラムで年間13回の公演があったということだ。

上演記録のリンクは以下の通り。

note.com

整理すると以下の通りになる。私が見たものについては、すべてレポートをこのブログに掲載しているので、その記事へのリンクを貼っている。

  1. 01/25:第1部 #埋設演劇 「姥ヶ谷落とし」(荒天のため中止)
  2. 01/31:第2部 #湖底演劇 「朽助のいる谷間」
  3. 03/07:やりなおし第1部 #埋設演劇 「姥ヶ谷落とし」
  4. 03/21:第3部 #傷には種を
  5. 04/29:第4部 演劇前夜 #黄山瀬c/w夜ふけと梅の花
  6. 05/23;第5部 #楽屋三人姉妹
  7. 05/30:第6部 #阿呆ヘレネ
  8. 06/22:第7部 演劇前夜「物語の中」
  9. 07/11:第8部「イオの月」
  10. 07/18:第9部 演劇前夜 「前夜」「末期の水」
  11. 08/29:第10部 演劇前夜「末期の水c/w横車の大八」
  12. 09/23:第11部 演劇前夜「菊の寿命」と前谷津川暗渠下り
  13. 10/31:第12部「十月の天地c/w逃」
  14. 11/23:第13部「二兎物語c/w川尻しのぶ伝」
  15. 12/26:第14部 #解体ソ連ナイト(主宰高野竜の怪我のため中止)
  16. 12/31:第15部  #まつもうで演劇(主宰高野竜の怪我のため中止)

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驚異的なペースの公演数で、制作とプロデュース、脚本、演出を担う主宰の高野竜は、毎回ボロボロになっていた。本来なら年末にさらに二公演が予定されていたが、公演場所の下見調査のときに高野竜が崖から落下し、頭蓋骨骨折という大けがを負ってしまったため、中止となった。平原演劇祭の公式告知によると「年内に事故のため延期になった2企画は安全な下見の仕方を再確認してから実行方法を探るつもりでいます」とのこと。

なお2022年には21年を上回る23の上演が予告されている。

open.mixi.jp

平原演劇祭の公演会場はすべて劇場でない場所で、2021年はすべて野外劇だった。

私が見にいった公演のなかでは、長時間歩き回ったあげく、地面に首まで埋められた俳優たちが話す上演風景が強烈だった(最初のイラストはその様子を描いたもの)3月7日に東武伊勢崎線和戸駅付近で上演されたやりなおし第1部 #埋設演劇 「姥ヶ谷落とし」や、千葉県の鋸山の山中の過酷なハイキングのあと、テリー・ライリーの《in C》の演奏会とともに岩舞台を背景に上演された05/30の「第6部 #阿呆ヘレネ」が特に印象深い。しかし観客こそ2名だけだったが、雨の中、東大駒場付近の暗渠をたどって歩いたあと、公演で上演された田宮虎彦の短編小説の朗読、04/29の「第4部 演劇前夜 #黄山瀬c/w夜ふけと梅の花」も、小規模でささやかな公演ながら、楽しい体験だった。

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2021年の演劇生活

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 新年明けましておめでとうございます。

 昨年見た舞台作品は70作品でした。45作品だった一昨年よりは観劇数は増えましたが、新型コロナ以前は年間に100本ぐらい見ていました。新型コロナ感染拡大に対する対策のもととはいえ、多くの公演が中止を余儀なくされた一昨年とは異なり、昨年は東京では公演は行われていましたので、昨年観劇数が伸びなかったのは私の側の問題です。これについては後で書きます。

 今年見た70作品から最も印象度の高い作品を10作品選ぶと以下のようになります。

  1. ゴキブリコンビナート『肛門からエクトプラズム』@ 川口市某所(2021/12/04)
  2. 虹企画/グループしゅら 『じょるじゅ・だんだん』@虹企画ミニミニシアター(2021/12/03 )
  3. SPAC『夢と錯乱』@楕円堂(2021/12/12)
  4. 劇団昴『堰 The Weir』@Pit昴 サイスタジオ大山(2021/09/14)
  5. 赤門塾演劇祭 『父と暮らせば 』@赤門塾(2021/03/27)
  6. 劇団サム『覚えてないで』@練馬区立生涯学習センター(2021/04/11)
  7. 劇団唐組  『少女都市からの呼び声』@下北沢駅前劇場(2021/01/21 )
  8. 劇団前進座『一万石の恋』新国立劇場中劇場(2021/10/10)
  9. iaku 『逢いにいくの、雨だけど』@三鷹市芸術文化センター(2021/04/21 )
  10. 『子午線の祀り』@世田谷パブリックシアター(2021/03/22)

番外:劇団一級河川『孤独を旅する短編演劇集』(亀尾佳宏 作・演出)@配信(2021/04/18)

 各作品について一言ずつコメントしておきます。

 ゴキブリコンビナートの本公演は二年半ぶりだったそうです。ゴキコン・ファンとしては待望の本公演でした。上演会場は予約者にのみメールで連絡がありました。埼玉県川口市内の殺風景な工場地域にある倉庫のような建物でした。ゴキコンがここで公演を行うことは私が知る限りこれが初めてです。性欲に翻弄される人間のおぞましさと滑稽さを、身も蓋もない率直さと独創的で過激な表現で示すゴキコンの舞台にはこれまで失望させられたことは一度もありません。ゴキコンは常に観客の期待に応え、そしてそれを超えた見世物を見せてくれます。今回は6メートルほどの高さのある櫓を会場内組み、高さを利用したダイナミックな演出でした。最初のほうで俳優の頭から激しい流血があるといういかにもゴキコンっぽい感じで、会場の興奮も一気に盛り上がりました(頭部流血俳優はその後、ガムテープを頭にぐるぐる巻きにして再登場しました)。グロテスクな着ぐるみや会場内を狂走する山車、そして本物のアルパカの登場など、観客を喜ばせる仕掛けが満載の実に楽しい芝居でした。ゴキコンはミュージカルなので、多くの楽曲が公演中に歌われます。表現のえげつなさにかき消されてしまいがちですが、その音楽は実は名曲揃いです。90分間の比較的短い時間の公演ですが、最初から最後までフルスロットルで突っ走る爽快な舞台でした。インパクトという点では、昨年私が見た芝居のなかではダントツでナンバーワンです。

 虹企画/グループしゅら は、96歳の演劇人、三條三輪さんが主宰する団体です。昨年、板橋演劇センターのシェクスピア作『終わりよければすべてよし』の公演で、私は三條三輪さんを知りました。高齢にもかかわらず、明晰な台詞回しで準主役と言っていいロシリオン伯爵夫人をプロンプターなしで演じきった様子や、当日パンフに初舞台の演出が土方与志ということを知り、私は彼女に関心を持ち、5月に彼女が主宰する虹企画/グループしゅらによる『地獄のオルフェウス』の舞台も見にいきました。上演時間が二時間を超える舞台でしたが、この作品でも彼女は主役級のレイディを演じていました。

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 10月に成蹊大学の日比野啓氏が研究代表者の科研基盤(B)「戦後演劇史の再構築:オーラル・ヒストリーからのアプローチ」の取材で、三條三輪にインタビューをする機会を得ました。そこで事実婚を選択した女医の母親と編集者の父親のもとに生まれ、リベラルな左翼ブルジョワの家庭環境で育ち、女医と俳優の二本立ての人生を歩んできた彼女の女優人生について話をうかがいました。虹企画/グループしゅらは、三條三輪さんと彼女のパートナーである跡見梵さんによる演劇ユニットで、その活動1970年代から続いていいます。公演のレビューについては以下のブログの記事に記しています。虹企画/グループしゅらのモリエール劇『じょるじゅ・だんだん』は、完成度という観点からは高く評価できる舞台とは言えません。しかし大胆な翻案や今日の感覚ではオーバーに感じられる演技演出、そしてメルヘン的な味わいのある素朴な舞台美術には、70年以上のキャリアを持つ演劇人のモリエールに対する深い理解と愛が感じられるものでした。モリエールのファルスの本質的な部分がくみ取られた楽しい舞台でした。そして舞台上の三條三輪さんの姿に、生の充実と演劇活動がシンクロしていることに大きな感動を覚えずにはいられませんでした。

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 SPAC『夢と錯乱』は、美加理が一人で演じる20世紀初頭のオーストリアの表現主事の詩人、トラークル(1887-1914)のテクストの朗読パフォーマンスでした。この作品は二年前になくなったクロード・レジ(1923−2019)の最後の演出作品であり、2018年に今回と同じ舞台芸術公演の楕円堂でも上演されています。

美加理は持てる表現技法を十全に駆使して、死ぬ瞬間にはじけ散る想念のかけらのようなトラークルの言葉を丁寧に拾い上げ、それを演劇的に表現してきました。楕円堂の高い木組みの天上の骨組みは、ゴティック様式のカテドラルの天上を連想させる崇高な空間となり、荘厳な宗教的儀式に立ち会っているような雰囲気でした。演出家の宮城聰と女優の美加理は、レジへの深いリスペクトを示しつつ、レジの深遠さに彼らの表現によって到達するすばらしいオマージュとなっていました。
 

 赤門塾演劇祭の大人の部の公演は2年ぶりの開催でした。新型コロナ感染対策のため、観劇は定員を設けた予約制、少人数キャストで演じられるものということで、井上ひさしの『父と暮らせば』が上演演目となりました。この作品は映画や舞台で何回か見ていますが、『父と暮らせば』は、無名の俳優によって、このような小さな空間で見るほうがより味わいが深く、胸に迫るものがあるように赤門塾演劇祭の公演を見て思いました。

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 劇団サムは石神井東中学演劇部のOB・OGによる劇団です。本来は1月に第6回公演が予定されていたのですが、新型コロナによる緊急事態宣言発令によって公演の中止が余儀なくされました。4月の公演は、1月公演の中止の後、急遽あらたな演目とキャストで行うことなった番外篇の公演でした。劇団サムは中学演劇のエートスをひきついだまま、高校生、大学生、社会人になった人たちが上演を続ける演劇団体です。中学演劇は彼らにとってノスタルジックなユートピアのようなのかもしれません。元演劇部顧問で、劇団主宰の田代卓さんはそして今も「先生」の役割を引き受けています。劇団サムの公演を見て感動的なのは、出演者のすがたに(そして裏方のスタッフも)演劇によって自己表現することの切実な欲求と喜びを、舞台から感じ取ることができることです。

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 劇団昴『堰 The Weir』は、アイルランドの劇作家コナー・マクフィアソンの作品ということで食指が動き、見にいきました。アイルランドの田舎町のパブが舞台の居酒屋演劇でした。パブの常連たちがだらだらとお話をして時間を潰すという動きのない語り芝居なのdせうが、そのバーでのグダグダの語りが見事に演劇になってしまう脚本の素晴らしさに感嘆しました。とりとめのない語りの仕掛けのなかで登場人物のかかえるさまざまな思いが浮かび上がってきました。芝居が提示する物語の奥行きと滋味の深さに満たされた感じがしました。

 劇団唐組といえば野外のテント芝居ですが、  『少女都市からの呼び声』は1月7日発令された緊急事態宣言期間中に下北沢駅前劇場でひっそりと上演されました。新型コロナによる社会の閉塞感と寒くて暗い冬の夜での上演という状況とあいまって、唐十郎のノスタルジックでデタラメな夢の世界にいっそう深く浸ることができたように思いました。美仁音がとてもよかったです。彼女の身体にくすんだ色合いの夢の甘美と狂気が凝縮されていました。

 劇団前進座『一万石の恋』は、落語「妾馬」に基づく山田洋次作の翻案劇です。絶妙の呼吸で軽快に、テンポ良く進むカラッと乾いた喜劇で、前進座ならではのアンサンブルの心地よさを楽しむことができました。こういう人情噺喜劇をここまできっちり上演できる劇団は前進座しかないと思います。もっと多くの人に前進座の舞台を見に来て欲しいものです。

 iaku 『逢いにいくの、雨だけど』は、再演の舞台でした。この作品は横山拓也の戯曲のなかで私が最も好きな作品の1つです。再演で完成度が高まり、感情のゆれ、矛盾、心理のニュアンスが丁寧に表現された、さらに隙のない緻密な舞台になっていました。

 世田谷パブリックシアター『子午線の祀り』。新型コロナ対策によりキャストを絞り、上演時間も休憩25分を含めて3時間10分と圧縮されたバージョンの上演でした。凝縮されたことで、展開が引き締まり、全編退屈することなく見られてよかったですが、各人物の活躍の場が端折られていて物足りなさもありました。

 番外としている劇団一級河川『孤独を旅する短編演劇集』は、劇場ではなく、配信で見た演劇です。劇団一級河川は、2010年以降毎年上演を行っている島根県の雲南市民演劇の参加者によって結成された劇団で、作・演出の亀尾佳宏さんはこの市民演劇がはじまった当初から関わっています。また亀尾佳宏さんは高校演劇の全国大会の常連である島根県立三刀屋高校演劇部の指導者としても知られています。『孤独を旅する短編演劇集』は新型コロナ対策のため、わずか20名の観客を前に上演されました。三篇の短編戯曲のオムニバスですが、とりわけ太宰治『葉桜と魔笛』の翻案劇は印象的な作品でした。静謐ではかなくて、透明感のある美しさと緊張感に満ちた舞台でした。

 

 

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日付 カンパニー・出演者 作者 演出 公演名
2021/01/01 青年団 平田オリザ 平田オリザ 『コントロールオフィサー』『百メートル』
2021/01/05 尾上菊五郎 福森久助 尾上菊五郎 四天王御江戸鏑
2021/01/09 現代版組踊『肝高の阿麻和利』 平田大一 平田大一 肝高の阿麻和利
2021/01/15       狂言『松囃子』石田幸雄(和泉流)、能『弱法師』朝倉俊樹(宝生流)
2021/01/17 青年団 平田オリザ 平田オリザ 眠れない夜なんてない
2021/01/21 大竹しのぶ、林遣都、瀬戸さおり ラシーヌ 栗山民也 フェードル
2021/01/21 劇団唐組 唐十郎 唐十郎、久保井研 少女都市からの呼び声
2021/01/23 SPAC モリエール ノゾエ征爾 病は気から
2021/01/27 前進座 三遊亭円朝 平田兼三 文七元結
2021/01/31 SPAC シェイクスピア 宮城聡 ハムレット
2021/02/03 オフィスコットーネプロデュース サルトル 稲葉賀恵 墓場なき死者
2021/02/04 笹本玲奈、昆 夏美 ミヒャエル・クンツェ、シルヴェスター・リーヴァイ ロバート・ヨハンソン マリー・アントワネット
2021/02/06 大駱駝艦・天賦典式 麿赤兒 麿赤兒 ダークマター
2021/02/18 AKNプロジェクト 知念正真 上江洲朝男 喜劇「人類館」
2021/02/25 劇団チョコレートケーキ 古川健 日澤雄介 帰還不能点
2021/03/07 平原演劇祭 高野竜 高野竜 平原演劇祭2021やりなおし第1部 #埋設演劇 「姥ヶ谷落とし」
2021/03/11 FUKAIPRODUCE羽衣 糸井幸之介 糸井幸之介 おねしょのように
2021/03/14 Co. Ruri Mito & 壁なき演劇センター 三東瑠璃 三東瑠璃 ヘッダ・ガーブレル
2021/03/14 宮﨑規格 宮﨑玲奈 宮﨑玲奈 忘れる滝の家
2021/03/19 佐藤滋とうさぎストライプ つかこうへい 大池容子 熱海殺人事件
2021/03/22 世田谷パブリックシアター 木下順二 野村萬斎 子午線の祀り
2021/03/27 赤門塾演劇祭 井上ひさし 長谷川優 父と暮らせば
2021/03/28 表現倶楽部うどぃ 比屋根秀斗 比屋根秀斗 命水の器
2021/04/04 島人Lab 平田大一 下村一裕 現代版組踊 鬼鷲〜琉球王尚巴志伝
2021/04/08 新国立劇場 三好十郎 上村聡史 斬られの仙太
2021/04/11 劇団サム 南陽子 田代卓 覚えてないで
2021/04/16 虹企画/ぐるうぷ・しゆら テネシィ・ウィリアムズ 三條三輪 地獄のオルフェウス
2021/04/18 劇団一級河川 亀尾佳宏 亀尾佳宏 孤独を旅する短編演劇集
2021/04/21 iaku 横山拓也 横山拓也 逢いにいくの、雨だけど
2021/04/29 平原演劇祭 高野竜 高野竜 平原演劇祭2021第4部演劇前夜「黄山瀬c/w夜ふけと梅の花」
2021/05/26 劇団桟敷童子 サジキドウジ 東憲司 獣唄2021改訂版
2021/05/30 平原演劇祭+《in C》 高野竜 高野竜 阿呆ヘレネ
2021/06/05 劇団麦の会 山口雄大 山口雄大 温泉旅館湯けむりの里ー取らぬ狸の皮算用の巻
2021/06/07 雲南市民劇 亀尾佳宏 亀尾佳宏 永井隆物語
2021/06/17 かんじゅく座(ウグイスチーム) 鯨エマ 鯨エマ パリテ!
2021/06/18 劇団BB★GOLD 三島由紀夫 佃典彦 卒塔婆小町・葵上
2021/06/18 劇団ひとりっこ 宮本研 竹内典子 花いちもんめ
2021/06/18 劇団サンシャイン ふじもり夏香 深町麻子 How many いい女
2021/06/20 仙台シニア劇団まんざら さとう修三 大石和彦 記憶・飛ばずに消えた
2021/06/20 劇研GO! 楽座 雁坂彰 雁坂彰 誇鶏克考(コケコッコー)〜野生に戻れ!〜
2021/6/20 石見国くにびき18座 金田サダ子 金田サダ子 この道をつないで
2021/06/20 かんじゅく座(カラスチーム) 鯨エマ 鯨エマ パリテ!
2021/06/24 錬肉工房 モーリス・メーテルリンク 岡本章 盲人達
2021/07/03 石見神楽東京社中 石見神楽 石見神楽 「塩祓」「八幡」「恵比須」「大蛇」
2021/07/15 ヘレン・マックロリー エウリピデス キャリー・クラックネル、ロス・マクギボン メディア
2021/07/15 新国立劇場 宮本研 千葉哲也 反応工程
7/22 世田谷パブリックシアター ワジディ・ムワワド 上村聡史 森 フォレ
8/2 イメルダ・スタウントン、トレイシー・ベネット、ジェイニー・ディー ジェームズ・ゴールドマン、スティーヴン・ソンドハイム ドミニク・クック フォーリーズ
8月7日 劇団風斜 日下部佐理 日下部佐理 終わりなき夜間飛行
8月9日 劇団四紀会 桜井敏 岸本敏朗 なおちゃん
2021/09/13 劇団俳優座 カミュ 眞鍋卓嗣 戒厳令
2021/09/14 劇団昴 コナー・マクフィアソン 小笠原響 堰 The Weir
2021/10/03 SPAC メーテルリンク セリーヌ・シェフェール;たきいみき、永井健二、仲村悠希 みつばち共和国
2021/10/10 劇団前進座 山田洋次・朱海青 小野文隆 一万石の恋
2021/10/10 さすらい姉妹     モスラ
2021/10/18 劇団音芽 谷口真彌 谷口真彌 Musical DRACULA Another Infection
2021/10/30 小林沙羅、他 木下順二/團伊玖磨 岡田利規 オペラ 夕鶴
2021/10/31 tpt モリエール/辰野隆訳 門井均 ミザントロオプ もしくは怒りっぽい恋人
2021/11/04 iaku 横山拓也 横山拓也 フタマツヅキ
11/5 山井綱雄之会 横町萬里雄 木村龍之介 鷹姫
2021/11/22 日本のラジオ 屋代秀樹 屋代秀樹 カナリヤ
2021/11/23 平原演劇祭 高野竜 高野竜 平原演劇祭 「二兎物語/ジョジョ4部」
2021/12/03 虹企画グループしゅら モリエール 三條三輪 じょるじゅ・だんだん
2021/12/04 ゴキブリコンビナート Dr. エクアドル Dr. エクアドル 肛門からエクトプラズム
12/11 劇団渡辺 ブレヒト 劇団渡辺 四川の善人
2021/12/12 SPAC チェーホフ ジャンヌトー 桜の園
2021/12/12 SPAC ゲオルク・トラークル 宮城聰 夢と錯乱
2021/12/23 小田尚稔の演劇 小田尚稔 小田尚稔 レクイエム
2021/12/30 世田谷パブリックシアター 瀬戸山美咲 栗山民也 彼女を笑う人がいても

 

2021/11/23 平原演劇祭2021第13部「二兎物語c/w川尻しのぶ伝」

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平原演劇祭2021第13部「二兎物語c/w川尻しのぶ伝」
時 11/23(火祝)16:30-19:00
於 浅川ふれあい橋(京王・多摩モノレール高幡不動駅北口徒歩10分)
銭 1000円+投げ銭
出演 千賀利緒、栗栖のあ、池田淑乃、尾崎勇人、西岡サヤ、橘朱里、たかはらさくら

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すでに二年近く続く新型コロナの感染拡大への警戒のもと、非演劇的場所に潜在する演劇性を引き出し、土地と結びついたドラマを作り続けてきた平原演劇祭は、これまでのノウハウの蓄積を生かし、むしろその活動はこの二年、さらに活発化しているように見える。公演の数も今年は月に一本以上のハイペースで、すでに13回である。年末にはさらに二つの公演が予告されている。平原演劇祭の観劇記録をある種の使命だと思っている私だが、今年は見落とした公演がけっこうあった。

今回の会場となった浅川ふれあい橋は、平原演劇祭にとってははじめての上演会場だった。橋の周りの風景の雰囲気は、春の平原演劇祭公演で会場になることが多い是政橋とよく似ているが、浅川ふれあい橋は歩行者専用で上演開始時刻前後には、散策を楽しむ近所の人たちの往来がかなり合った。こののどかな橋の上と下に、平原演劇祭は非日常の異世界を強引に出現させる。

最初は平原演劇祭特有のジャンル、JOJO劇「川尻しのぶ伝」が橋の入り口ではじまった。観客の数は30名ほどだったように思う。

最初は出演者全員による「もしも明日が晴れならば」の斉唱からはじまる。自分自身が子供頃聞いた懐かしい曲で、70年代の青春ドラマっぽいい曲だなと思ったが、誰の曲だったのか思い出せない。家に帰って調べると「欽ちゃんのドンとやってみよう」のわらべのヒット曲だった。

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平原演劇祭でJOJO劇は定番もののシリーズなのだが、私はJOJOをまともに読んだことがない。子供がJOJOのファンなので、家に単行本はそろっているのだけど、私は老眼が進んだこともあって、あのような情報量の多い密度の高いマンガを読むのがおっくうなのだ。JOJO劇は原作を読んでいないと何が起こっているのかさっぱりわからない。平原のJOJO劇は若い俳優が暴れ回るはちゃめちゃで何が展開しているのか理解できなくても面白いのだけれど、今回は事前に予習しておくことにした。

「川尻しのぶ」伝とあったが、最初は「じゃんけん小僧」のエピソードだった。始まった時間は日の入り前で明るく、橋には平原演劇祭の観客ではない地元の人たちもたくさんいた。そんなことはおかまいなく、平原演劇祭は町の人たちの日常に切り込んでいく。橋の上を駆け抜けるダイナミックな芝居で、奇矯な格好の人間が声を張り上げているのだから、当然、通りがかりの人たちも何事かと足を止める。特にこどもたちは興味深そうに見入っていた。

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JOJOの原作を読むと、エキセントリックで超人的なキャラクターが大量に出てきて、「スタンド」で暴れ回るこのマンガを演劇で再現しようとすること自体が無謀に思える。しかしこうした無謀をあえてやってしまうのが平原演劇祭のいいところ。低予算で手作り感に満ちた平原演劇祭で無理矢理やるからこそ、逆説的にJOJO劇がリアルで説得力のあるものになる。「ごっこ」遊びを行き過ぎになるまで徹底的にやったときの面白さがある。俳優の芝居のJOJO再現度のレベルの高さに笑った。実は全然マンガのキャラクターには姿形は似てないのだけれど、あの人物としか思えないような無理矢理リアリズムを勢いで実現させている。

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「じゃんけん小僧」の巻は橋の上で展開し、このエピソードが終わるころには日はすっかり落ちて、あたりは暗くなっていた。上演場所は橋の下に移動し、背の高い雑草が生い茂る河原で「川尻しのぶ」伝が始まる。倦怠の主婦、川尻しのぶを演じた池田淑乃のちょっとしどけなさのある色っぽさ、美しさが、非常によかった。まさに私がマンガを読んで思い浮かべた川尻しのぶのキャラクター・イメージが池田に完璧に再現されていた。何の違和感もない。マンガの場面の再現度から言うと、開演15分前に突然出演が決まった大家役の俳優の芝居も素晴らしかった。原作マンガを片手に持ちながら、取り立ての場面を、ねっとりとした嫌らしい口調で演じる。これは素人ではないなと思ったのだが、あとで聞くと名古屋の優しい劇団の所属俳優とのこと。大学受験で上京したついでにやってきたそうだ。吉良吉影役の尾崎優人と猫草を演じた平原演劇祭の常連俳優となった西岡さやは、原作のキャラクターとは似ても似つかないのだが、身体を張ったエネルギッシュな芝居で観客をファンタジーのなかに引きずり込んでいた。

橋の下演劇となるとあたりは暗闇となり、照明は観客が俳優たちを照らし出す懐中電灯頼りとなる。この懐中電灯による照明も幻想的な空間を作り出していた。「川尻しのぶ伝」が終わった後は、対岸の河原に移動し『二兎物語』が始まった。

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これはサン・テグジュペリの『夜間飛行』(もしかすると『南方郵便機』も入っていたかも)とワイルドの『幸福な王子』の二編の場面をコラージュして再構成したモノローグ劇で、二人の若い女優が演じた。

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石がゴロゴロしている河原を歩き回る芝居だった。『幸福な王子』を演じる女優がこのゴロゴロ石の河原を何回か疾走するので、躓いて転んだりしないかはらはらした。照明は観客の懐中電灯と橋の上の街灯頼りなので、足下はよく見えないところが多い。後半の上演中は、私は寒さと頻繁な移動を伴う立ち通しで疲労していて、集中力を欠いた状態での観劇となっていた。サン・テグジュペリの『夜間飛行』は観劇前に予習して読んでいたのだが、丁寧で静謐な描写は見事ではあるけれど、楽しんで読めたという感じではなかった。

劇の最後のほうに出演者が一人一人、旗を持って登場し、それぞれが「名乗り」をおこなった。

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自己紹介のあと、自由に所感を述べる。いかにも平原演劇祭っぽい趣向だ。栗栖のあがしゃれでなく本気で「あらゆる人をキリスト教徒にしたいっ」と力強く宣言していたのがおかしかった。場違いなことを計算しつつ、すごく真面目に言っているのが伝わってくるので、そのエネルギーの裏返り加減が面白い。そして締めも斉唱、「もしも明日が晴れならば」。すがすがしく、感動的な気分に持って行かれてしまう。

平原演劇祭にはノスタルジーがある。どこか小中学校のころ、クラスの行事でやっていたお楽しみ会を連想させるところも。あのときの遊びを大人になってもずっとやり続け、発展させていくと平原演劇祭のようなものになっていくような。

2021/12/03 虹企画・ぐるうぷシュラ『じょるじゅ・だんだん』

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作:モリエール

訳:恒川義夫

台本・演出:三條三輪

照明・装置・音響:菰岡喜一郎

衣装:サヨコ・中山、今川ひろみ

宣伝美術:小林恵

舞台監督:林正信

演出補佐・制作:跡見梵

出演:松本淳、藍朱魅、三條三輪、跡見梵、植松りか、清水学、荻原俊一

会場:北新宿 虹企画ミニミニシアター

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初舞台の演出は土方与志(1898~1959)だったという長寿の演劇人、三條三輪の出演・演出によるモリエール劇の上演となれば、見にいかずにはいられない。さらにほぼ一年前、板橋演劇センターの『終わりよければすべてよし』に三條とともに出演し、堂々たる存在感を示した女優、藍朱魅も出演となればなおさらである。

 
 
 
 
 
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A post shared by 片山 幹生 (@katayama_mikio)

明朗なエネルギーに満ちたモリエール劇だった。上演会場の虹企画ミニミニシアターは、大久保駅から徒歩5分ほどのところにある劇場だ。舞台の間口は6メートルほど、客席は50席くらいか。『ジョルジュ・ダンダン』の初演はヴェルサイユ宮殿での祝宴の枠組みの中で、音楽とバレエ付きで上演されたスペクタクルだったが、こうしたこじんまりした劇場での上演がむしろふさわしいように思えた。

貴族女性と結婚した裕福な農民、ジョルジュ・ダンダンが、妻に浮気された上、貴族たちにバカにされ、さんざんいたぶられるという話で、現代的な観点から読むとダンダンのいじめられかたはあまりにも理不尽で、ダンダンがかわいそうに思えてしまう。しかし三條版『じょるじゅ・だんだん』では、ダンダンは理不尽な仕打ちを受けながらも、一方的にやられたりはしない。屈辱的な謝罪を強いられても、それで凹んだりはしない。なにくそと、しぶとく意地悪な貴族たちに立ち向おうとする。『じょるじゅ・だんだん』ではダンダンだけでなく、あらゆる登場人物がしたたかで、利己的で、浅はかだ。

素朴で絵本のような味わいのある舞台美術、派手で突飛な衣装、大仰な喜劇芝居によって、架空の十七世紀パリ郊外のファンタジーを強引に出現させてしまう。一見不器用で粗く思える演出だが、第二幕の暗闇のなかのだんまり芝居の照明の加減は絶妙だったし、ミュージカル・シーンの導入のタイミング、そしてその場面の楽しさとおかしさは秀逸だった。『ジョルジュ・ダンダン』がコメディ・バレという音楽舞踊劇であったことを思い起こさせた。

伯爵夫人を演じた三條三輪の歩きは不安定で見ていてハラハラしたが、その明瞭で品格のある台詞回しは見事だった。彼女の台詞でピーンと筋が通るような感じがした。ジョルジュ・ダンダンの妻である貴族の娘、アンジェリックを演じた藍朱魅の堂々たる存在感も目を引いた。彼女が舞台に登場すると舞台がぱっと明るくなった感じがする。ゴージャスで典雅だけれど、利己的で卑小でもある貴族娘が見事に具現されていた。

浮気相手の伯爵を演じた跡見梵は、浮気男のうさんくささと高貴さとがしっかりと表現されていた。アンジェリックの小間使いをクローディーヌを演じた植松りかとダンダン役の松本淳は、めりはりのある表情とジェスチャーの演技で、芝居全体をひきしめていた。

見た目の洗練とか完成度の高さは求めない、ただ戯曲の核心となる部分をなんとかして伝えたいという心意気は見て取れる。いろんな意味で破天荒で自由な舞台だった。

こんなにおおらかで、奔放な活力に満ちたモリエールは他ではちょっと見ることができないだろう。大胆な翻案は施されていたが、モリエール劇のエッセンスとメッセージはしっかりと伝える筋の通った芝居だった。

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2021/11/4 iaku『フタマツヅキ』@シアタートラム

www.iaku.jp

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iakuの新作は私にとっては実に身につまされる話で、息が詰まるような思いをしながら、舞台を見た。

モロ諸岡演じる主人公克(すぐる)は、開店休業中の落語家で、もう何年も高座に上がることなく、知り合いが経営しているギャラリーの管理人として小遣い程度の給料を貰って、無為の日々を過ごしている。老年にさしかかろうという彼には糟糠の妻、雅子と20歳ぐらいの息子、花楽(からく)がいる。妻は働いていて、彼女の働きでなんとか生計を維持している。息子は高校卒業後、アルバイト生活を続けていたが、介護施設での就職が内定した。妻の稼ぎに依存するこの一家は貧しく、二間だけの狭くてみすぼらしい団地に住んでいる。息子はまともに働かずにぶらぶらと生きている父親を憎悪している。克は家にいるとばつが悪いのか、この二間の住まいには金がなくなったときにしか来ない。雅子はそんなふがいない夫に対してなぜか優しく、無心にやってきた夫に小遣いを渡す。

主筋と並行して、若い頃の克と雅子の出会いから花楽の出産にいたるまでの数年間の様子が提示され、なぜ雅子がこのどうしようもない夫を献身的に支えてきたのかがわかるようになっている。

若き頃はピンの漫談家として、そして雅子の妊娠がわかってからは落語家としての活動をはじめた克は、芸人としては成功せず、経済的には雅子に依存状態ではあったが、ずっと好き勝手に生きてきた人間だ。しかしチャンスと才能に恵まれず、年を経ることにやさぐれ、その生活と心はすさんでいった。克の絶望とやるせなさは私には痛いほどわかる。彼をこんな風にしてしまったのは、彼自身だけでなく、妻の雅子の優しさのせいでもある。雅子にとって、克はこの世での自分の居場所と存在意義を与えてくれた恩人だった。献身的に雅子は夫を支えるが、この夫婦は共依存の関係のなかで、地獄の状態をどんどん悪化させていたのだった。雅子の優しさによって、克は救われつつ、同時に真綿で首を絞められるように苦しんできたのだろう。

青年期を迎えた息子、花楽には、克は父親と夫としての責任を果たさず、自分が愛する母を苛めるいまわしい存在となる。また自分が憎悪する父親を母親が依然愛していることが我慢ならなかっただろう。

弟弟子が持ってきた再生のチャンスとなる落語の仕事を、克は全うできない。再起をかけた挑戦の無残な失敗に、克は深い自己嫌悪に陥り、自暴自棄となる。そして彼は自分がこうなってしまったのは、妻、雅子のせいだと雅子を責める。彼は雅子の優しさの犠牲者という面はあるのは確かだ。しかしそれは克の立場にいたなら、人として決して口に出してはならないことだろう。

自身の無能ぶりへの絶望、高いプライド、妻への負い目、子供との確執など、思いどおりにならない人生にいたぶられ、克のように苦しんでいる男は少なくないだろう。作・演出の横山拓也は確実に、彼らの身の回りにいるそうした屈折した心情を抱える男たちから、克という存在をつくりあげたに違いない。私もまさにその一人であり、克と雅子の夫婦、そしてその子供花楽の重苦しい関係に、自分自身の家族関係を重ねずにはいられなかった。たまっていた鬱屈が爆発し、互いの思いをぶつけあう最後の30分ほどは、圧巻だった。私は嗚咽しながらそのやりとりを見た。そしてひきこまれた。

こうした決定的で破壊的な感情のぶつけあいがないと、関係は再生できないのかもしれない。息子は家を出ることを決める。克と雅子は部屋のなかで久々によりそい、二人の未来を穏やかに思い浮かべる。

モロ師岡がやさぐれた老年芸人のおぞましいエゴイズムをしっかりと引き受け、演じきった。暗い舞台空間のなかにぼんやりと照らされる回り舞台によって各人の心情を浮かび上がらせる演出が効果的だった。若きに日の雅子を演じたiakuの芝居の常連、橋爪未萠里が表現するはかなさと切なさはたまらない。

劇中で部分的に何回か演じられる「初天神」が、作品全体のメタファーとなっているし劇作上の仕掛けの巧妙さ。「初天神」が最後まで語られたときに、この演目が物語全体を包み込み、深い余韻を作り出す。

かつて息子と一緒に親子落語鑑賞会で一之輔の「初天神」を聞いたことを思い出し、ジンとした気持ちになった。

2021/10/03 SPAC『みつばち共和国』

spac.or.jp

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SPACの公演を見にいくのは久々。今年の春のふじのくに⇄せかい演劇祭もチケットは予約していた演目はあったが、予定が立て込んで結局一本も見ることが出来なかった。静岡芸術劇場に来たのもこの1月末に見た『ハムレット』再演以来だ。

新型コロナウイルス感染下の状況で、どうもSPACの演劇は積極的に見にいきたい気分にならない。状況下で表現自体が萎縮しているような感じが強く、公演のエネルギーがあまり感じられないのだ。SPACは大きなスペクタクルばかり上演しているわけではないが、やはり野外での大人数キャストでの大きな芝居の賑わいがあってこそSPACという感じが私はする。

『みつばち共和国』はフランス人の女性演出家、セリーヌ・シェフェールの作品で、初演は2年前のアヴィニョン演劇祭だった。昨年秋に、SPACのキャストで上演されたが私はこの公演は見ていない。原作はメーテルリンクの『蜜蜂の生活』で、これは戯曲ではなく、そのタイトルが示すように蜜蜂の生態についてのエッセイだ。

シェフェール『みつばち共和国』の上演時間は約1時間。正直なところ、東京から往復して見にいく価値のある作品ではなかった。それなりに洗練されているが、凡庸なアイディアの教材演劇というか。蜜蜂の一年の生活を女王バチを中心に語るというもので、いくぶん文学的な香りがしないでもないナレーションを、俳優が演技で説明的な動作でなぞるというものだった。プロジェクション・マッピングやいかにも現代のフランスの舞台っぽい暗めの洗練された照明などはあったが、舞台表現として特に独創的なアイディアがあるわけではない。

もともと蜜蜂の生態というものに私はほとんど関心がないというのもあるが、そんな私でも北マケドニアの女性の自然養蜂家の生活を追ったドキュメンタリー『ハニーランド 永遠の谷』には大きな感銘を受けたのだから、やり方次第ではこの題材でもこちらの心をぐっと引き寄せるような作品は可能なはずだ。

小学生向けの学習図鑑を、丁寧に舞台化したかのような舞台。丁寧には作られているかもしれないが、何の驚きも発見もない。もともと小学生ぐらいの子どもの教育用に作られた舞台なのかもしれない。実はこんな舞台だろうなと、広報の情報を見て思っていたのだが、まさにそういう舞台だった。

新型コロナウイルス下ということで、公共劇場であるSPACは活動にさまざまな制限を加えられていて苦しい状況なのだろうと思う。この1月に見た『病は気から』、『ハムレット』でも感じたことだが、SPACの公演からはSPACの苦しさが伝わってくるような気がして、応援したい気持ちはあるものの、それであまり積極的に見にいく気になれないのだろう。

2021/09/23 平原演劇祭[演劇前夜]田宮虎彦「菊の寿命」と前谷津川暗渠くだり

note.com

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平原演劇祭では田宮虎彦の小説の朗読を月例で行っている。ここ数回、この朗読の会を見に行けてなかったのだが、黒菅藩(くろすげはん)という架空の東北地方の藩を通して、新政府軍に敗北していく幕府側についた武士たちを描く連作集を取りあげているとのこと。

今回は私の最寄り駅の地下鉄赤塚付近でこの「演劇前夜」の朗読をやるということで、私は見に行かないわけにはいかない。ただ私は告知をtwitterで見ただけで、当日何をここでやるのかについては全く予習をしていなかった。田宮虎彦の黒菅藩ものの一つ、「菊の寿命」を読むというのも、朗読が始まってから知ったのだった。

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集合は午後1時に東京メトロ、地下鉄赤塚駅の一番出入り口を出たところだった。川越街道をはさんで一番出入り口の斜向かいにある出入り口を私は日常的に利用している。まさに私にとっては地元中の地元である。秋分の日だったが、昨日は真夏の太陽が照りつける暑い日だった。

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集合時刻10分前に駅出入り口に行ってみたが、誰もいない。成増側にあるこの一番出入り口は、地味な地下鉄赤塚の出入り口のなかでもっとも利用者が少ない地味な出入り口だ。もしかすると集合場所を間違えたのかと思い、人の乗降が多い池袋側の出入り口まで見にいったけれど、やはり平原演劇祭の観客らしい人はいなかった。もとの場所に戻ると、高野竜さんの妻のみきこさんが出入り口のそばにいた。観客は私ひとりかと思えば、常連のMさんの姿もあった。結局、今日の観客は私とMさんの二人だけだった。

高野さんは1時15分ごろに地下鉄赤塚駅出入り口にやってきた。地下鉄赤塚で奥さんを下ろしたあと、高島平まで車で戻り、そこに車を駐車したあと、赤塚まで歩いてきたらしい。車を高島平に駐車したのは、今回の平原演劇祭の終着点が高島平だからだ。

赤塚と高島平の距離は三キロぐらいだが、かなり急な上り下りがあるうえ、気温が33度の炎天下である。始まる前から高野さんは暑さと疲労でヨレヨレの状態で、地下鉄の改札に下りる階段でうずくまっている。

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どんなにボロボロの状態でも演劇をやるのが高野さんだ。しばらくへばっていたが、立ち上がり、川越街道沿いの実に散文的な風景のなかで平原演劇祭は始まった。まず赤塚から北に向かって高島平の向こう側、埼玉県との県境をなす荒川まで流れる前谷津川の川筋を下っていく。といっても五キロほどの長さの前谷津川は全面的に暗渠になっていて、地表を流れていない。赤塚近辺に20年ぐらい住んでいる私は前谷津川の存在を知らなかった。古くからの住民以外は知らないだろう。この前谷津川の水源は川越街道沿いに建つマンションのゴミ置き場の奥にあった。板橋区がちゃんと「ここは水路です」と看板を立ている。しかし水路とは書いてあるものの、その水路にはふたがかぶせられ流れている水は見えない。看板のそばに行くと、ふたの下で水が流れている音が聞こえた。川越街道を越えた向こう側には川筋跡らしい空間は見当たらない。まさにここが前谷津川の水源なのだ。

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このあたりは家の近所なので、ちょくちょく通る。たしかに川が流れていた(現在も地下で流れている)ということに気がつけば、暗渠っぽい路地が川越街道沿いのマンションのゴミ集積所から北に向かって続いていることがわかる。

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暗渠となっている道の出入り口には、上の写真のような車止めが設置され、車が進入できないようになっていた。一戸建ての住宅が並ぶなか、ぐねぐねと伸びる前谷津川暗渠に沿って歩いて行った。気温が高くて、歩くのはきつかったが、既にバテバテの状態で杖をつきながらゆっくり歩く竜さんがガイドだったので、ついていくことができた。一時間ほど高島平方面に歩いたところで、アイスクリーム休憩を取る。かき氷屋があれば入りたいような感じだったのだが、そんな気の利いた店はこのあたりにはない。ひたする木造モルタルの一戸建て住宅とアパートが乱雑に並ぶ。

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《高島平暗渠×水路上観察入門展》@高島平図書館で配布されていたパンフレット。この地図にある「前谷津川」沿いを今回歩いた。

アイスクリームを購入したCOOPは板橋区役所赤塚支所の近くにある。2011年までは板橋区民だったのでここには何回か来たことがある。地下鉄赤塚駅からここまではゆるやかな上りになっているが、この先はかなり急な下り坂になる。この下り坂から、田宮虎彦「菊の寿命」の朗読が始まった。午後一時半ごろに赤塚新町駅を出発して、朗読が始まったのは午後三時すぎだったように思う。

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両側を住宅に挟まれた、狭くて急な階段をそろりそろりと用心深く下りながら、高野さんは架空幕末歴史小説「菊の寿命」を朗読した。水まきをしていた下り階段の左手のアパートの住民がいぶかしげに朗読しながら階段を下りていく竜さんを見ていたが、何も言われなかった。危ない人だと思われたのだろう。

坂を下りきると、今度は上りになる。この上り坂も階段でかなり急だ。そして登り切ったところに赤塚植物園があり、高野竜さんは朗読を続けながら植物園に入っていった。

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植物園なのでいろいろな植物がある。そして植えられている植物を歌った万葉集の歌を記した標識が立っていた。この植物園を回遊しているときは「菊の寿命」朗読では幕府に仕えてきた黒菅藩の歴代藩主の事績と没年が列挙されている箇所だった。竜さんは時折、植物の標識に記された万葉集の歌も立ち止まって読み上げる。「菊の寿命」は、黒菅藩の藩主、山中和泉守重治の独白なので、傍目からみると頭の可笑しい人が独り言をブツブツつぶやきながら、散歩しているように見えたかもしれない。植物園には小さな子供を連れた親子連れが数組と植物園の植栽を管理する人たちが数人いた。

今回は「虫除け持参」が事前に推奨されていたが、この植物園は蚊がたくさんいた。アイスクリーム休憩のときに、高野さんの奥さんから腕に虫除けスプレーをふきかけてもらっておいてよかった。

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赤塚植物園に附属し、その隣にある農園で「菊の寿命」を竜さんは読み終えた。朗読時間は50分ぐらいか。読み終えたのは午後四時半ぐらいだった。幕府軍側で、新政府軍と戦い、悲壮な最期を迎えることになる藩主の話。竜さんは最後は、靴を脱ぎ、上半身裸になっての朗読だった。農園の緑をバックにした朗読は美しく、力強い。農園の閉園時間間際ということもあり、最後のほうは農園には我々4人しかいなかった。

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本日の締めは、高島平図書館で行われている《高島平暗渠×水路上観察入門 展》だ。図書館は午後8時まで空いているとのこと。この展示を見ることで、前谷津側暗渠歩きと田宮虎彦「菊の寿命」の朗読のつながりがよりはっきり浮かび上がっているはず、と竜さんは言う。

しかし実のところ、私は田宮虎彦「菊の寿命」をなぜここで朗読したかったのか、その理由がまだわかっていない。

植物園から高島平図書館までは2.5キロぐらいの距離がある。出発時点で既にヘロヘロで、そのあと歩き朗読を続けた高野さんはもちろん、みきこさんや観客二人もかなり疲れていたのだが、暗渠路沿いにぶらぶら高島平まで歩いて行くことにする。

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図書館に着く頃にはあたりは暗くなっていた。図書館に入る前に、高野さんが途中で買ってくれたホワイト餃子で腹ごしらえをした。遊歩道のベンチに座って手づかみで、一人二個ずつ食べた。こんな落ち着かない状況で手づかみ餃子なんて気が進まないなと思ったけれど、路上でのホワイト餃子、けっこういける。

図書館に到着したのは午後五時半過ぎだった。《高島平暗渠×水路上観察入門 展》はごく狭いスペースでの展示だったが、企画者のかたが撮影したキャプション入りの写真や昔の新聞記事などのスクラップなどで、今日、私たちが歩いてきた前谷津川の過去と今を振り返ることができるう内容になっていた。

高島平図書館から歩いて6分の別の場所で、《いたばし暗渠×水路上観察入門 展》という関連企画が行われていることを今になって知る。図書館についた時点で疲労でヘロヘロになっていて、しかも時間も午後五時半を過ぎていたので、知っていたとしても足を運ぶ元気があったかどうかわからないが。

解散は高島平図書館で午後六時半。私にとっては近場の遠足演劇だったが、午後一時から六時半、暑い中をだらだらと歩き続けるという長時間体力消耗演劇となってしまった。疲れたけれども、久々に外を歩き回って、気分はいい。

 

 

『ドライブ・マイ・カー』

dmc.bitters.co.jp

 

映画の原作であり、映画にいくつかのモチーフを提供している村上春樹の短編小説集『女のいない男たち』に収録されている「ドライブ・マイ・カー」、「シェエラザード」、「木野」の三編も、映画を見た後に読んだ。

映画版のタイトル、および設定の骨格は「ドライブ・マイ・カー」から借りてはいるものの、原作に大きな改変が加えられていて、濱口竜介版は原作の映画化というよりは、上記の短編集に含まれる三つの短編小説にインスパイアされた別の作品といっていい。原作の設定と空気感を引き継ぎつつも、原作のなかのいくつかのモチーフから想像力を働かせ、映画版独自の新たな構想のなかでその要素を大幅に発展させることで、濱口竜介の世界を提示している。小説版は小説版の味わいはあるのだが、小説にはない映画版独自の要素が私にはこの映画のなかで特に面白さを感じたところだった。

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舞台を東京から広島の演劇祭に移したこと、敗残した失意の人間のやるせなさを描くチェーホフの『ワーニャ伯父さん』を映画の物語と重ねたことなど、演劇というメタファーの強調は、濱口の改変のなかでも最も大きなものだろう。ずっとそばにいて、愛し合っていた人の心さえ、見えない盲点がある。その盲点に気がついたときの大きなショック、人はわかりあえないというディスコミュニケーションへの絶望とそれを受け入れて生きることの寂しさ(しかし受け入れ、諦念したときに、人は安らぎも手に入れることができるだろう)が、様々な脚本の仕掛けを通して丁寧に描写された作品だった。

特に印象的だった場面は、家福の妻の浮気相手の高槻が、セックスのあとで家福の妻が夢うつつで語る物語を、家福と共有していたことが明らかになる車のなかの場面だ。妻の浮気相手だったとはいえ思慮と倫理観に乏しいこの若い俳優の高槻を、家福はどこか馬鹿にしていた。しかし高槻は、家福と妻のあいだのきわめて秘めやかな関係のなかで語られていたはずの物語を、家福と同じように情交のあと聞いていただけでなく、彼の聞いた物語は家福には語られなかった物語であり、しかも家福が知っていた物語よりもはるかに深遠で濃密で官能的な内容だった。家福は思いがけないところで、不意打ちのように、妻の闇をつきつけられることになるのである。この高槻の語りの場面の岡田将生の芝居は、その語りの内容にふさわしいすさまじい迫力と緊張感があった。

もう一つ印象的な場面は、最後のシーケンスである。唖の韓国人女優による手話による『ワーニャ伯父さん』の最後の場面は圧巻だったが、その後の場面で、スーパーで買い物をするドライバー、みさきの様子が数分間映し出される。彼女の乗っている車は、家福の愛車である年期の入った赤い外車だ。しかし家福の姿はない。車のナンバーは韓国語になっていて、彼女が、今、韓国のどこかの地方都市にいることがわかる。買い物を終えて戻ってきた車のなかには、唖の韓国人女優と演劇祭コーディネーターをやっていた彼女の夫が飼っていた犬が、みさきを待っていた。

前場とのつながりがみえないこのエピローグには観客の大半は戸惑い、シーケンスの状況とそれが伝えるメッセージがなんであるか考えるだろう。そして映画で語られないこの空白の時間がどのようなものであったか想像してみたくなるだろう。

おそらく『ワーニャ伯父さん』の演劇祭の上演から、数年の時間は経っている。車は家福から譲り受けたものに違いない。家福にとっては自分の分身のような愛車だったが、おそらく彼は緑内障が進み、運転することが難しくなったのだ。家福が車を手放すとなれば、その愛車の次の持ち主はみさきでしかありえない。

みさきはあの舞台の出演者のなかで、とりわけ唖の韓国人女優に強い共感を抱いていたことは映画のなかで示されている。外国人の唖の舞台女優というよるべなき不安定な状況のなかで、この状況を引き受けつつ、力強く自分の人生を生きていく韓国人女優のありかたは、よるべなき孤独の人であるみさきに大きな希望をもたらすものだった。みさきは、あのプロデューサーの夫からも大きな信頼を得ていたことは映画のなかで強調されている。演劇祭が終わったあとも韓国人夫婦とみさきの交流は続いただろう。

地方での演劇祭としては潤沢な資金で行われていたようにみえたあの演劇祭もその後、何年続いたのかわからない。外国人の舞台俳優とプロデューサーも仕事のため、他の土地に移らなければならなくなった。そのときに飼っていた犬をどうするかが問題になった。

家族同様にあの夫婦とつきあってきたみさきは、犬とも仲良しになっていた。そしてあの地を離れることになった夫妻から犬を引き継いだ。

あの夫妻がいなくなると、みさきもこの土地に留まる理由はなくなってしまう。もとより肉親も友人もいない一人生活の風来坊の彼女は、彼女の孤独をいやす犬とともに新しい土地に移動することにした。新しい土地はどこでもよかったのだ。みさきはあの韓国人夫妻の出身地である韓国の地方都市を新天地とした。自分には理解できない言語を話す人が住む未知の土地での生活の孤独のなかで、彼女はようやく自分にまとわりついていたネガティブな思いから解放され、自由を楽しむことができるようになった。

 

 

ドラマ『スカム・フランス:シーズン4 イマム』

フランスのリセを舞台にした学園もの。敬虔なムスリムで、聡明な黒人女子高生、イマネが主人公。白人の多い学校のなかで彼女はマイノリティだ。しかし彼女は女の子の仲良しグループに溶け込み、充実した学園生活を送っている。彼女の友だちはイマネのイスラム的な価値観に理解を示し、彼女を受け入れている。

しかしたとえ多様性を認め、マイノリティの存在を尊重する姿勢がある環境であっても、マイノリティとして生きることは大変なストレスがかかる。このシーズンでは、イマネの恋愛がドラマの軸になっていて、イスラム的価値観と今時のフランスの若者文化のなかでイマネが激しく揺さぶられ、葛藤する様子が丁寧に描かれている。イマネはなまじ「いい子チャン」なので、この折り合いをつけるのに、余計苦しんでしまうのだ。

告白を受け入れ、愛を表明することが、イマネにとってどれほど大きい冒険だったことか。葛藤を乗り越え、イマネが成長する瞬間を捉えた最終話のラストは感動的だった。
しかし、イマネに感情移入し、あのラストを感動的だと思ってしまうのは、見ているこちらがやはり非=イスラム的価値観の持ち主であるからかもしれない。

わかり合えるようでわかり合えない部分はやはりあるのだろうな、とも思った。

2021/09/05 チンドンのまど舎 @なかの芸能小劇場

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https://www.facebook.com/nomad.chindon

チンドンのまど舎の8周年公演を見にいった。のまど舎は、紺野しょうけい(チンドン太鼓)と堀込美穂(アコーディオン)によるちんどん屋ユニットだ。この二人はもともとロック、ジャズという洋楽のミュージシャンであり、そちらの活動も続けている。二人がどのような経緯で、バンドからちんどん屋という別ジャンルに足を踏み入れるようになったのかは私は知らない。

私がのまど舎のライブにはじめて行ったのは、のまど舎結成してまもなくの頃だと思う。最初に行ったときは、早稲田のモダンジャズ研究会出身のサックス奏者、渡辺康蔵さんとのセッションで、フリージャズとチンドンのコラボだった。このときは客はごく数名しかいなかったように思う。

これが音楽的に非常に面白くて、渡辺康蔵さんが参加しないときも、のまど舎のライブに通うようになった。のまど舎はライブハウスで、他ジャンルのミュージシャンとセッションして、ユーモラスでありながら前衛音楽的な雰囲気もあるネオ・ちんどんライブをやりつつ、芸能としてのちんどん道の修行も続け、正統派ちんどんとしての活動も深めていったようだ。

三年前の冬になかの芸能劇場であった五年間ののまど舎の集大成とも言えるようなコンサートを聞いてから、その後、スケジュールが合わなくて、のまど舎の公演を聞きにいけてなかった。今回はひさびさののまど舎のライブということになる。

 

なかの芸能劇場は110席入るらしいが、今回は新型コロナウイルス感染対策ということで、客席は半数に抑えられて55席のみ。のまど舎は高齢者もファンも多いようで、集客にはかなり苦戦していたみたいだが、55席はほぼ埋まっていた。

大道芸やちんどん屋本来の業務である練り歩きでの演奏と違い、劇場での公演となると、チンドンのまど舎のふたりだけでショーを成立させるのは大変だ。今回はのまど舎の二人のほか、クラリネットのイッシー石原、獅子舞とちんどんの豆太郎、カンカラ三線・演歌師の岡大介の3名のゲストを呼び、ショーの構成に変化をつけていた。

オープニングはチンドンのまど舎のふたりの掛合と歌・演奏から始まった。紺野さんの口上が以前よりなめらかに、それっぽくなっていたように思う。話芸で観客を引き込み、パフォーマンスの流れを作っていくのは、ちんどんにとっては重要な要素のはずだ。

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二人で二三曲歌ったあと、最初のゲスト、クラリネットのイッシー石原がステージに呼び出される。ベテランちんどん奏者のイッシーをいじった後、イッシーのクラリネットをフィーチャーして三人で数曲演奏。

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イッシーが退場したあとは、新しいゲスト、ちんどん喜助豆太郎が呼び出される。豆太郎はまず躍動感あふれる見事な獅子舞を踊る。

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豆太郎はまだ40歳ぐらいの若い芸人で、のまど舎と知り合ったのは比較的最近だと言う。のまど舎に獅子舞の依頼が入ったのだが、紺野も掘込も獅子舞は踊れない。それまで交流はなかったが存在は見聞きしていた豆太郎に連絡を取り、彼に獅子舞を踊って貰った。それから付き合いがはじまったそうだ。

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獅子舞のあとは、紺野が作曲したちんどん太鼓のデュオを、紺野と豆太郎が演奏した。ちんどん太鼓のみだがこれはグルーヴ感のある演奏で、客席は大いに盛り上がった。豆太郎はクラリネットの演奏も行い、ちんどん版《いとしのエリー》が演奏された。

この後、カンカラ三線・演歌師の岡大介が舞台に呼び出される。カンカラ三線とは、胴が空き缶でできた沖縄の弦楽器で、太平洋戦争後、物資がなかった沖縄で三線の代わりに使われるようになったとのこと。岡大介はこのカンカラ三線の弾き語りで、演歌を歌う。その演歌とは、世相批判の風刺的内容の演説を歌う、初期の演歌スタイルのものだ。岡は新型コロナ禍での政府の無能無策ぶりを風刺する気の利いた詩の演歌を数曲披露し、喝采を得ていた。

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岡が演歌を歌っているあいだに、芝居の準備を行っていた。紺野が脚本を書いた清水次郎長ものの大衆演劇風のコントが上演された。20分ほどの小芝居だったが、言葉遊び、チャンバラ、恋、舞踊、笑いなどが取り込まれたよくできたコントだった。芝居のテンポもよく、しっかり稽古していることが見て取れた。

最後は全員での演奏で。

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チンドンをベースにした歌、踊り、話芸、芝居などで構成された素晴らしいバラエティ・ショーだった。新型コロナ禍でちんどんも大打撃を受けている。商店街などの営業だけでなく、老人ホームなどでの公演ものきなみ中止になってしまった。


しかしこの苦しい苦しい閉塞的状況だからこそ、やせ我慢して、この苦しさを突き抜けるようなショーをやりたい、という演者の思いが伝わってきた。そしてこの密度とクオリティのエンターテイメントまでもってきたところに、芸人としての心意気を感じ、じんときた。この会場で、このメンバーで、こんなショーが、2000円の木戸銭で興行として成立するわけがない。
能天気な昭和歌謡と大衆演劇風コントに込められた芸人魂に心震える。本当なら超満員の会場で、その芸にかけ声を送りながら、楽しみたかった。そういったはじけたいような気分を抑えながら、ステージを見る。ちんどんのパフォーマンスはカラッと明るいけれど、この状況下ではその明るさはすごく切なくて、胸締め付けられる思いがした。

帰りの電車のなかでショーの余韻を噛みしめた。

公演全編の様子は以下のyoutubeで見ることができる。

youtu.be

2021/9/5(日)
なかの芸能小劇場
中野区中野5-68-7スマイル中野2F
18:30開場
19:00開演
入場料2000円
<出演>
チンドンのまど舎
堀込美穂、紺野しょうけい
カンカラ三線・演歌師
岡大介
クラリネット
イッシー石原
ちんどん喜助
豆太郎
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セットリスト
竹に雀
ちんどん渡り鳥(みほ作)
あゝ東京(メドレー)
<イッシーさんと>
青島マーチ~ドンドレミ~サーカスの唄(メドレー)
さざんかの宿
ブルーシャトウ
吾妻八景(獅子舞)
<豆さんと>
ちんどん馬鹿囃子(ちんどん太鼓二台合奏)
いとしのエリー
あこがれのハワイ航路(岡大介+のまど舎)
岡大介オンステージ
<豆さん+のまど舎>
小政石松と投げ節お仲(芝居コント)
まつり(全員)
東京節(全員)